習い事で成長する人がやっている"視点"の持ち方 「なぜ?」「どうして?」と疑問を持つことがカギ

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

その技術や感性は、長年の経験と訓練によって培われた暗黙知の領域にあり、言葉で説明したり、簡単に模倣したりすることが困難なのです。

そのため、これらの卓越した技や表現のコツを理解し、習得することは容易ではありません。しかし、その背後にある原理や法則を探求し続けることで、私たちは少しずつその本質に近づくことができるかもしれません。

自分が上達したいことのコツがわからないとき、どうすればいいのでしょうか。まだ自分が気づけていない重要な法則があること、そして、それが自分の認識の盲点になっていることを意識する必要があります。

そして、あらゆる観察や体験を通じて手がかりを探し、「問い」を立てればよいのです。それが気づきの要となります。

「なぜ、この樂焼はゆがんでいるんだろうか?」

「なぜ、このサイズなんだろうか?」

シンプルな問いだとしても、時に奥深い気づきを得られることがしばしばあります。深く考えても「わからない!」と思ったことを放置しておいても問題ありません。

ある日、突然、まったく関係なく電車に乗っているときや、人と会話していて聞いた言葉から気づきがひらめいたりします。みなさんも同じような体験をしたことはありませんか?

この不思議な現象が起こるのは、コンピューターと同じで、意識していなくても問いを置いておくことで、無意識で脳はセンサーを立てて情報収集したり、情報処理したりしてくれるからです。

一方、「問い」を立てずに漫然と何かを体験していれば、ジェットコースターのライドのように体験を楽しんだり驚いたりして終わります。

エンターテイメントとして楽しむにはよいですが、それは深く考えるという行為からは離れていきます。

「わかった!」と思った瞬間に要注意

また、ひとつの「問い」に対して、「わかった!」と思った瞬間で終わらせず、どんどん深掘りしていく姿勢も大事です。

自分がわかっていると思っていることこそ、視点が固定されているため、ほかの観点からの見え方が欠如してしまって「わかっていない」可能性が高いからです。

深掘りしながら、その内容をチャートなどで図解化したり、キーワードを書き出したりして俯瞰することも役に立ちます。

「問い」に対して論理的な答えを求める傾向がある人は、論理を可視化したあとに、それを離れて直感的に感じることをしてみると理解度が広がります。なぜなら、論理や言語のほうが直感的な理解より限定的になる上、情報をつかめるスピードが遅いからです。

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事