「若者の街」じゃなくなった渋谷への寂しさの正体 お金のない若者でも楽しめた街は、今はもうない

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もし、こうした「若者の街」から「ビジネスパーソン・インバウンドの街」への変化を空間として感じたければ、スクランブル交差点に行くといい。

その目の前にある「SHIBUYA TSUTAYA」は今年4月にリニューアルし、2階のスターバックスのガラス張りの壁面からはスクランブル交差点の様子を撮影できるようになった。

渋谷のTSUTAYA内にあるスタバ
2階の他にも、有料で座ることができるスペースがある(編集部撮影)

そして、そこで渋谷の雑踏を撮影している人の多くは外国人である。今や、渋谷はインバウンド観光客が見おろす街になったのだ。

実は、渋谷は「選択と集中」を繰り返してきた街だった

いわば、ビジネスパーソン・インバウンド観光客に向けた「選択と集中」が渋谷で進んでいる。そして、それによって、これまでいたはずの「若者」が追い出されている。

言うなれば、「みんなの街」から「選択された人の街」へ、という変化が露骨に感じられるからこそ「昔の渋谷は良かった」「渋谷はもう若者の街じゃない」という嘆きが生まれるのだ。

しかし、ここで考えたいのは、この「選択と集中」は必ずしも、否定すべきことなのだろうか、ということだ。

というのも、そもそも1970年代にPARCOが行った街づくりも、この「選択と集中」をかなり露骨に行うものだったからだ。こんな証言がある。

街にセグメントされたマーケットだけが集まるということが必要である。[…]価値観の違う者は排除する。みんなの街といった町内会的な概念はかなぐり捨てなければならない。似た者同士を集めることで価値観は増幅され、ちょっと違う価値観を同化する。そしてその街なりの強い価値観をもつに至るのである。(『ACROSS』)

当事者であるPARCO側の都市開発の説明である。

ここからわかるのは、もともとの渋谷開発においても「町内会的な概念」を持つ「みんなの街」ではなく、むしろ「似たもの同士」を集める「選択」の重要性が意識されていたことだ。

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