山里の家で薫が心惹かれた、琵琶の音と2人の姫君 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・橋姫③

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「いや、そのように日を限って勤行なさっている折に邪魔をするのもよろしくない。こんなに露に濡れそぼってわざわざ参上し、虚しく帰るつらさを姫君たちに申し上げて、なんとあわれな、とおっしゃっていただければ気もすむのだ」と中将が言うと、男は不細工な顔に笑みを浮かべ、

「そう申させることにいたしましょう」と言ってその場を去ろうとするので、

「待ちなさい」と中将は呼び止める。「今までずっと噂にばかり聞いていて、ずっと聴きたいと思っていたお琴の合奏を聴けるありがたい折だ、しばらくのあいだ、どこか隠れて聴くことのできるような物陰はないだろうか。無粋(ぶすい)に図々しくおそばに参ろうとして、お二人とも弾くのをやめては残念だから」

そう言う中将の雰囲気や顔立ちは、この宿直人のような平凡な者の心にも、じつに立派で畏れ多く思わずにはいられないので、

「だれも聴いていない時は、明け暮れこうして合奏なさっていますが、たとえ下人(しもびと)であろうとも、都のほうからやってきてこちらに滞在する人のいる時は、音をお立てにもなりません。そもそも宮さまが、こんなふうに姫君たちがいらっしゃることをお隠しになって、世間の人々には知らせまいとお思いになり、そのようにおっしゃったのです」と言う。中将は笑い、

「それはつまらない隠しごとだ。そんなふうに隠しているおつもりでも、世間ではみな、世にも珍しいことだと聞いているらしいのに」と言い、さらに「やはり案内してくれ。私は色めかしい下心など無縁の人間だ。こうしてお暮らしの様子が不思議で、どうしてもふつうのお方のようには思えないのだ」と熱心に訴えるので、宿直人は、

「畏れ多いことです。ご案内しなければ、気が利かないと後々叱られるかもしれません」と、姫君たちの部屋は、竹の透垣(すいがい(あいだを透かして作られた垣根))を張りめぐらせて、すっかり別の囲いとなっていることを教えて、中将を連れていく。中将のお供の人は西の廊(ろう)に呼び入れて、この宿直人がもてなす。

雲に隠れていた月が急に明るく光を放ち

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姫君の部屋に通じているらしい透垣の戸を少し押し開けて中を見ると、簾(すだれ)を高く巻き上げて、あたり一面に立ちこめる霧のなか、月がうつくしく見えているのを女房たちが眺めている。簀子(すのこ)に、いかにも寒そうに、糊(のり)が落ちてやわらかそうな衣裳を着た痩せた女童(めのわらわ)がひとり、また似たような姿の女房たちが座っている。部屋の中にいるひとりは、柱に少し隠れて、琵琶を前に置き、撥を手先でもてあそびながら座っていたが、雲に隠れていた月が急に明るく光を放ったので、

「扇で月を呼べると昔から言うけれど、扇でなくてこの撥ででも月は招き寄せられたわ」と言って月をのぞいたその顔は、とてもつややかにかわいらしい人のように見受けられる。ものに寄りかかっている人は、琴の上に前屈(まえかが)みになって、

「夕日を呼び戻す撥のことは聞いたことがあるけれど、月を招き寄せるなんて、変わった思いつきね」と、にっこり笑っている様子は、もうひとりより少しばかり重々しくて気品がある。

次の話を読む:12月15日14時配信予定

*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです

角田 光代 小説家

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かくた みつよ / Kakuta Mitsuyo

1967年生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。著書に『対岸の彼女』(直木賞)、『八日目の蝉』(中央公論文芸賞)など。『源氏物語』の現代語訳で読売文学賞受賞。

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