秋も終わる頃、四季に合わせて行う念仏を、この宇治川のほとりの邸では網代(あじろ)の波音もひどく騒々しく落ち着かない時節だからと、宮はあの阿闍梨(あじゃり)の住む山寺の御堂(みどう)に移って、七日のあいだ勤めることとなった。宮の不在に、姫君たちはたいそう心細く、気の紛らわしようもなくもの思いに沈んでいる。ちょうどその頃中将は、久しく宇治に行っていないと思い出すままに、まだ夜深く、有明の月がさし上る頃に出発し、だれにも知られず、お供の者なども少なくして、目立たぬなりで出かけた。川のこちら側なので舟などの面倒もなく、馬で出かける。山間に入っていくにつれ、霧が深くなり、道も見えない草深い野中を分け入っていくと、たいそう荒々しい風が吹きつける。ほろほろと風に乱れ落ちる木の葉の露が降りかかるのも、ひどく冷たく、自分で行こうと決めて来たものの、たいそう濡れてしまった。このようなお忍びの外出などもめったにしない中将は、心細くも、またおもしろくも思うのだった。
山おろしにたへぬ木の葉の露よりもあやなくもろきわが涙かな
(山おろしの風にたえきれず落ちる木の葉の露よりも、なぜだろう、いっそうもろくこぼれる私の涙よ)
山賤(やまがつ)の者が目を覚まして何かと騒ぐのも煩わしいと、随身(ずいじん)に先払いの声も立てさせず、家々の柴の籬(まがき)のあいだを分け入りながら、どこからともなく流れる水流を踏みつけていく馬の足音も人の耳につかぬようにと用心しているのだが、隠すこともできない匂いは風に吹かれて漂い、いったいどなたのお通りかと驚いて目を覚ます家々もあるのだった。
はじめて耳にするような琵琶の響き
八の宮の邸に近づくにつれ、なんの楽器とも聞き分けられない音が、身に染み入るようにさみしげに聞こえてくる。いつもこうして合奏していると宮は言っていたが、機会がなく、名手と名高い宮の琴(きん)(七絃の琴(しちげんのきん))の音も聴けないでいる中将は、これはいい時に来た、と思いながら邸に入る。するとそれは琴ではなくて琵琶の響きである。黄鐘調(おうしきちょう(雅楽の調子のひとつ))に調子を整えて、ごくふつうの搔き合わせ(調子を整えるための短い曲)なのだが、場所が場所であるからか、はじめて耳にするような気がし、搔き返す撥(ばち)の音も澄んでいて風情がある。箏(そう)の琴(こと)は、胸に染み入るような優雅な音色でとぎれとぎれに聞こえる。
中将はしばらく聴いていたくてそっと隠れていたが、来訪の気配をはっきりそれと聞きつけて宿直人(とのいびと)らしい男の、気の利かなそうな者が出てくる。
「これこれの事情で宮さまは山寺にこもっていらっしゃいます。ご訪問を伝えましょう」と言う。
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