東京で一獲千金狙うも「酷評」店主の痛切な気づき 山形の超人気ラーメン店「新旬屋」はどう再生したか

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だが、オープンから半年もすると、あまりの人気に近所からは苦情が来るようになり、半田さんは2店舗を移転して融合し、昼から夜間まで営業できるお店にリニューアルした。朝11時から夜3時まで中休みなし、定休日なしで営業をした。しかし、これが大失敗となる。

朝から晩まで営業している、ラーメン屋なのか飲み屋なのかわからないお店となってしまった結果、客足が遠のいてしまったのだ。また、時間によって作り手が変わった結果、肝心のラーメンの味のブレ幅も大きくなってしまった。

詳しくは前回の記事で紹介:山形で人気トップ「金の鶏中華」店主の痛恨の失敗 ラーメンバーで成功も、客の気持ちを見失って…

その頃、売り上げを少しでも回復するために山形市にシミュレーションゴルフの会社をオープンし、半田さんは山形市に移ってしまった。本来はラーメンのテコ入れをしなければいけないところだが、足元が見えていなかったのだ。さらに2011年、東日本大震災が起こり、会社全体の売り上げは地に落ちる。

東京でイベントに出店も酷評…

ラーメンもダメ、ゴルフもダメと完全に落ち込んでいる頃、日本ラーメン協会で当時理事をやっていた仙台の名店「五福星」の店主・早坂雅晶さんから、東京・駒沢公園で開かれる「東京ラーメンショー」に出店してみないかという誘いを受ける。

またとないチャンス。当時から日本一のラーメンイベントとも言われていた「東京ラーメンショー」に一獲千金の気持ちでチャレンジしてみることにする。

山形のご当地ラーメンで、蕎麦屋で人気の「鶏中華」をアレンジしたラーメンを作って「東京ラーメンショー2012」に乗り込んだ。とんでもない来客数で、「新旬屋 麺」にも長い行列ができ、初めて出たラーメンイベントでなんと1500杯のラーメンを提供した。

「東京ラーメンショー2012」で提供された鶏中華。半田さん自身、「今思えば自分はなんというラーメンを出していたんだろうと怖くなる」と振り返るが、筆者のメモにも、微妙な感想が残っていた(筆者撮影)

「これほどまでに売れるとは思わず、大満足で帰りましたが、今思えば自分はなんというラーメンを出していたんだろうと怖くなるぐらいです。ネットを見てみると書き込みがひどかったですね。

『まずい』『山形だったらもっと旨い蕎麦屋さんの鶏中華があるだろう』『なんていうラーメンを出してるんだ』と大多数がクレームで、確かに売り上げは上がりましたが満足感がゼロ、逆に言えば悲壮感のほうが大きくてこれはマズいと落ち込みましたね」(半田さん)

結果、自分は人の真似しかしておらず、自分のラーメンが作れていないことに気づいたのである。売り上げも落ちている中、半田さんはラーメン作りを1から考え直し、オリジナリティのある自分だけのラーメンを作ることにチャレンジした。

次ページ試行錯誤の末に、自分だけの一杯を作り出した
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