東京で一獲千金狙うも「酷評」店主の痛切な気づき 山形の超人気ラーメン店「新旬屋」はどう再生したか

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地元ではまだまだとりもつラーメンや蕎麦屋の鶏中華のほうが人気が根強かったが、イベントでの反響から2015年頃から地元のメディアにも少しずつ取り上げられるようになった。

一気に火が点いたわけではなかったがじわじわとお客さんが増えてきたのである。半田さんはシミュレーションゴルフの店を従業員に預け、毎日山形市から1時間半かけて新庄の店まで通い、「金の鶏中華」をブラッシュアップさせていった。

定休日と中休みを作って仕込みにも時間をかけるようになったら、営業時間は短くなったのにさらに売り上げが上がっていった。しまいには売り上げが倍になり、半信半疑から確信に変わった。

新旬屋本店
こちらは「新旬屋 本店」の外観(筆者撮影)

2018年には店舗をさらに駅前に移転し、社屋を建てる。店名は「新旬屋 本店」とした。「金の鶏中華」をメインにし、他のメニューは曜日限定にするなどして、味作りも1から見直して改良を重ねた。

深夜営業から、三毛作営業へと変化していく

2019年には「東京ラーメンショー」で最優秀賞を受賞し、さらに注目された。売り上げの3割を占めていた深夜営業をやめて朝ラーメンに切り替え、「煮干中華蕎麦 あらた」という店名で二毛作営業に、2020年には夜を「極中華蕎麦 ひろた」とし三毛作営業とし、さらに人気となる。

朝営業の「煮干中華蕎麦 あらた」では煮干のきいた「シンちゃんらーめん」を提供(筆者撮影)

いよいよここからと張り切っていた中で新型コロナがぶつかる。東日本大震災以来の大ピンチに陥っている中、使われていない座敷席、小上がり席をやめ、思い切ってその部分を工場にした。

店を2カ月休業し、工場部分の建設と、コロナに合わせてお客さんが提供口に取りに来るセルフサービス方式に店のレイアウトを変更した。

「これが今はうちの財産になっています。コロナ禍でお店が営業できないときに、どうやってお客さんに旨いものを届けるかを真剣に考えたんですよね。お土産ラーメンや冷凍麺などはコロナ禍で生まれたものなんです」(半田さん)

ワンタンメン「雲海」にはしなやかな乾麺を使用(筆者撮影)
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