倫理資本主義の下でビジネスは成り立つのか? エシックス(倫理)と資本主義を考える(2)
ガブリエル:道徳的事実の範囲、性質、具体的構造を研究する学問として倫理を捉えたいと思っています。事実とは一般的に、意味のある問いに対する真の答えです。たとえば、「私たちは今、東京にいますか」は意味ある問いで、答えは「はい」。これは事実です。あるいは、「2+2は4か」。これも事実です。
道徳的事実とは、私たちは人間ですから、人間として為すべきことに関する事実を指します。私たちは生存し繁栄するために環境を保護し、私たちが属する生態系をよりよくする必要があります。また、私たちは互いに義務を負っていて、人間は集団として、力の及ぶ範囲内で、人間以外のものに対して義務を負っている。それも道徳的事実です。
このように考えていくと、道徳的事実から、人間がどのような条件下で豊かに生きられるかがわかってきます。豊かに生きられることがすべての人の利益になるのは明白です。
ここで経済とつながってきます。経済的な手段によって人間の置かれている状態が向上し、よりよく生きられるならば、より多くの持続可能な利益が得られます。倫理を本当に理解すれば、経済の本質がわかってきます。
どういうわけか、倫理や道徳が経済活動を制約するという昔ながらの考え方は、いまだにあります。市場は市場で、企業は企業で、本分を果たせという考えです。周辺には「あなたがすべきことには限界がある」という批評家のような人たちもいます。
これはいわば、ある種のダウンレギュレーション(下方制御)です。私の考える倫理資本主義はアップレギュレーション(上方制御)です。
倫理的な行動は収益源になるのか?
名和:規制というと、ある行動を禁じるダウンレギュレーションがすぐに思い浮かびますが、よりよい行動を促進するアップレギュレーションだというのは、興味深いですね。倫理的な行動はビジネスではコスト増につながりそうですが、収益源となるのでしょうか。