「死の疑似体験」で彼女が気づいた"母子の呪縛" 「手放す」ことではじめて実感できる関係もある

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大切な人やモノやコトを書いたカードを、物語が進むとともに悩みながら手放していきます。なにを手放し、なにを残すのか、そこに正解はありませんし、違うタイミングで受ければ変化も生じます。1日ずれただけで、人生でもっとも大切なものが変わり得るのです。

そうはいっても、なにが残りやすいかの傾向はあります。やはり、最後のほうに残りやすいもの、また最後のひとつに残りやすいものは「人」であることが大多数です。

なかでも最後の1枚が「母親」になることは、そう珍しいことではありません。というより、おそらくもっとも多いのが「母親」ではないかと思います。父親も母親も大事な親であることに違いはないのでしょうが、自分を産み育んでくれた存在ということで、ギリギリの選択では「母」となるのでしょう。

「死の体験旅行」をはじめて間もないころ、印象的な感想を口にした若い女性がいました。

その方は20歳前後に見え、学生さんかな、それとも社会人になりたてかな、という初々しい雰囲気でした。平日夜の開催だったため仕事帰りの方も多かったのですが、彼女は服装やメイクの感じも少し華やかだったので、より印象に残ったのかもしれません。

「母親より先に死ぬ自分」が気づかせてくれたこと

本編を終え、最後のシェアリングで1人ひとりの感想に耳を傾けていました。彼女は「最後の1枚は、ママです」と言いました。

「死の体験旅行」の本編では、ある人が病にかかり、病気の進行とともに命を終えていくストーリーが語られます。そのストーリーのなかで自分が体調を崩している場面を想像したとき、幼いころに母に看病されたときの記憶などが脳裏に浮かぶのかもしれません。

そのときの受講者の多くは年代が若く、親が元気でいらっしゃる方が多いということもあったのだと思います。これが年配者向けの開催で、親が亡くなっている年代の方が受講すれば、また結果は違ってきます。

「最後の1枚は、ママです」と言った彼女は、さらに言葉を続けました。

「私はママととても仲がよくて、友だちみたいな親子なんです。ママのことが誰よりもいちばん大事だと思っていました。けれど最後の1枚のカードを見て、私はその大事な人に、自分の子どもが死ぬ姿を見せてしまっているという情景が目に浮かんだんです。ママがいちばん大事だと言いながら、それよりも自分のほうが大事だっていうエゴがあることに気がつきました」

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