「死の疑似体験」で彼女が気づいた"母子の呪縛" 「手放す」ことではじめて実感できる関係もある

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大切な人からもらった物や思い出が詰まった記念の品といった形あるモノだけでなく、旅先で見た美しい光景だったり、故郷の風景を思い描く方もいるでしょうし、自分の人生において成し遂げたいと心に秘めている夢や目標がわき出してくる方もいらっしゃるでしょう。

大切なモノ・コトをカードに書き出すのは準備段階にすぎないのですが、ここですでに大事な気づきを得る方も少なくありません。それは、自分はこんなにも多くの大切なモノやコトに囲まれていたのか、という気づきです。

普段、生きているときには「あれがない、これが足りない、なんとかして手に入れなければ」と、日々なにかを求めて生きています。しかし、立ち止まってじっくりと考えてみると、すでに多くの大切なものを得ていたことに気づくのです。

「死の体験旅行」の本編では、進行役の私がある物語を語ります。ある人が病にかかり、病気が進行するなかで死に近づいていくというストーリーです。

その合間には、「ここでカードを手放してください」という指示のもと、カードを取捨選択していかなければなりません。死者は、どれだけ大切なものであっても死とともにそれを所有し続けることはできません。つまり、大切にしているものを「手放す」ことで「死」が実感されるのです。

「死の体験旅行」の後半30分では「シェアリング」ということを行うのですが、これは、本編以上に重要な部分です。どのカードを手放したときにつらく感じたか、どのカードを最後まで持っていたかなど、あれこれ語り合うのです。

そこで語られる感想は、三者三様、じつにさまざまです。「大切なものを手放すというのが、こんなにつらいとは思わなかった」という人もいれば、「これまでないがしろにしてきたものが大切なものだったことに改めて気づいた」と語る人もいらっしゃいます。

本編で涙を流していた人も、このシェアリングを通じて晴れやかな表情を見せてくれることが多いのです。

最後の1枚に残ることが多いのは「母親」

「死の体験旅行」では、なにが自分にとって大切なものなのかに気づいたり、あるいは大切だと思っていたものが意外と重要度が低かったことに気づかされたり、多くの人にとって新鮮な発見が得られることがあります。

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