娘の死から最期まで22年の日記に吐露された心情 「只生きている。死ねば完了」の境地に至るまで

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変化した先にあったのは、ムッチャンに語りかけるためのですます調をそのままに話し相手が霧散した独白だった。2012年5月の日記。

<5.25(日)pm9.25
 ムッチャンのボーシを描きました
 前はもっと一生けん命かいたのに、
 近頃はその一生けん命がないのです。
 何故?
 生きていることが一生けん命ではないからだ。
 でも一生けん命生きようとしています。
 この下らない世の中で。>

 

引用箇所のノート(筆者撮影)

二人称の死から一人称の死へ

翌年の秋にはゴンもこの世を去った。

<'13.10.2(水)am5.00✝
 GON!
 (略)
 ゴンの死は、何か、どすんと。
 これからのお母さんが心配です>

家族のメンバーが次々にいなくなっていく。自身の老いも自覚している。2005年に妻のSさんが運転する自動車で移動中に追突事故に遭い、その3年後に手足のしびれが出て、通勤にも送迎をお願いするようになった。

ゴンの死から2日後、散歩したと記す短文がもの悲しい。この年、T医師は80歳になっている。

<10.4(金)pm9.25
 アサ、サンポ(2人)
 これからは2人きりです。>

日記群はここから1年半の空白期間があるが、その間に大きな変化は起きなかった様子だ。異変はしばらく先の2019年2月。体調不良が続いたSさんが悪性リンパ腫と診断された。T医師の86歳の誕生日はSさんが入院中に訪れた。

<2.25(月)pm8.30
 My. Birthday!
 でも、生まれて始めて、一人の。
 ○○がケーキを持ってきてくれましたし、×は○が顔を立ててくれたけど、
 (略)
 午后サンポ 好天気!>

その後もSさんは入退院を繰り返すようになるが、元気なときは家族旅行に出かけてもいる。やれることは減っていくが、続けられる営みは諦めない。T医師は翌年の3月まで医師を続けた。87歳での引退だった。

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