娘の死から最期まで22年の日記に吐露された心情 「只生きている。死ねば完了」の境地に至るまで

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手帳類収集家に寄贈された28冊の日記(筆者撮影)

他人の日記やスケジュール帳などの「手帳類」を収集する志良堂正史(しらどう・まさふみ)さんの元には、全国の多くの人たちから1700冊を超える日記帳やノートなどが寄せられている。その中から遺品整理の過程で発見された、ある故人の日記を拾い上げて読み込んでいきたい。

遺品として寄せられた難読ノート

志良堂さんに寄せられた日記の中で、とりわけボリュームが目立つのはT医師の日記群だ。主にA4サイズの大学ノートに書かれた日記帳は全部で28冊あり、期間は1999年8月から2021年9月まで、実に22年に及ぶ。2022年の秋に遺族から寄贈されたものだ。

志良堂さんもまだ全容がつかめていないという。ボリュームだけが理由でないことは、一冊開けばすぐにわかる。1時間かけても1ページ分の内容が解読しきれないことがあるほど、字のくせが強い。

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2006年11月の日記。全編この調子で書かれている(筆者撮影)

そんなT医師の日記群を特別に預からせてもらった。とある機会に一部を読ませてもらったとき、そこに刻まれた強い情動に強く惹きつけられたためだ。

唐突に差し込まれる「ムッチャン!」という慟哭と、水彩絵の具まで使って繰り返し描かれる自室の景色や麦わら帽子のスケッチ、罫線を無視して縦横に書き殴る乱れた字。それが何度も繰り返されており、普通ではない何かを感じた。

複数のノートに書かれたスケッチや散文(筆者撮影)

その真相を解き明かすために時間をかけて最初の2冊を読み込んだところ、ムッチャンは亡くなった娘であること、たびたびスケッチされる品々はムッチャンの形見であること、そして、ムッチャンの死が日記を始めるきっかけだったことがわかった。

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