そのうえで全編を読み込んだところ、T医師の内面から湧き上がる死別の悲しみが、膨大な時間をかけてゆっくりと変化していくプロセスが浮かび上がってきた。22年間に及ぶ一人の内面が追える機会は滅多にない。故人の内面のすべてを知れるわけではないが、可能な限りこの記事で共有したい。
(※日記の引用において、解読できなかった箇所は「××」とし、プライバシー保護の観点から、「ムッチャン」の本名は「M」、それ以外の人物名や住所などは「○○」と伏せています)
健康で充実した暮らし、埋められない穴
T医師の日記は、表紙に「99.8~」と書かれたA4の赤いキャンパスレポートから始まる。1999年8月20日の朝につづった夢日記が最初だ。
お祭りだった×宿の中を歩いていた。何人か知っている人に会った
夜になって通りは人っ子一人居なくなってしまった
家に帰った。家は××のバラックの家だった 玄関に近づくと、
"洗手が帰って来た来た"という子供の声がした。玄関をあけると
そこにM(お母さんを××)が待っていた。"洗手"とは私が
押していた荷物車のことだった。そのかごは日用品やおみやげをつんであった
Mのほっぺたは真っ赤だった。私は"こういう時もあったな"と
×にうたれていた>
ムッチャンは、この約1年前の1998年9月に20歳で亡くなっている。ムッチャンは生後間もない乳幼児が罹る胆道閉鎖症という病気を患っており、主治医からは成人になることは難しいと言われていた。
T医師が44歳のときに生まれた子。20年間ずっと見守ってきた自分の娘は闘病を終え、そして一周忌を迎える直前に夢に出てきてくれた。このことを書き留めなければと起きてすぐに筆をとった熱が、日付けに続く「アケ方」にのぞく。
この日からT医師の暮らしに、ムッチャンに向けて日記をつづる日課が加わった。
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