娘の死から最期まで22年の日記に吐露された心情 「只生きている。死ねば完了」の境地に至るまで

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<4.2(火)p.6.40
 Mの習字を見ていると
 Mと話しをしているような気がします。
 上には人形がぶら下り、
 右にはモモとの写真があって
 更に向うにはアチコチの狛犬の絵が
 何となくMを守っているように。
 カラバッジオ(※)も居ましたね。
 只、やはり、それでも。
 只その中で私もどうやっても居ない
 Mと向き合っているのです。>
(※筆者注:バロック期の画家・カラヴァッジオの絵画を指すと思われる)

形見が手元に増えると故人がより身近に感じられるようになり、それゆえに故人の喪失が現実味を帯びる。こんなことも書いている。

<10.9(火)pm8.40
 Mは死んだ。どこにも居ない。
 只、お父さんの心の中に居る。
 Mに会いたい。
 死ねば会えるか? 不!。
 お父さんが生きていないと会えない。
 お父さんが死ぬと、お父さんもMも
 居なくなるのです。
 だから一生懸命、生きているのです。>

対話先としてのムッチャンの喪失

新居に移り、次女とも別々に暮らすようになった。夫婦と2匹の犬と暮らす日々。70歳を超えてもT医師は現役で働いており、囲碁も旅行も大いに楽しんでいる様子だ。時に家族の愚痴をこぼし、バレンタインデーに職場でチョコを貰って喜んだり、酔いに任せてモモやゴンの雑なスケッチを見開きで描きなぐったりと、俗なところも包み隠さずストレートに残している。

ムッチャンもやはり頻繁に登場する。命日やお墓参りをした日、夢で会えた日などに、形見のスケッチと一緒につづっている。また、深酒して感情があふれ出たときには「ムッチャン!」と紙面上で叫んだりもした。以前目にしたのはこの頃のノートだったようだ。

紙面上での叫び。2002年2月のもの(筆者撮影)

ただ、その頻度は少しずつ下降線を描くようになっていく。2004年の夏には、こんな記述が残る。

<8.22(日)p.8.50
 Mが亡くなったとき、
 ベートーベンをものすごく聴きたかった
 勇気を与えてくれた.勇気を必要とした。
 今はしかし、少しも聴きたくない(もう勇気はいらないのか?)
 聴きたいのは只、バッハ、ヘンデル、×のバロック(シューベルトも少し)>
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