娘の死から最期まで22年の日記に吐露された心情 「只生きている。死ねば完了」の境地に至るまで

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当時のT医師は66歳。都会の郊外に構える一軒家で妻と次女、大型犬のモモとゴンと暮らしていた。長男はすでに家を出ており、次女も手がかからない年齢になっている。

朝にモモとゴンを散歩に連れていき、勤務先には自転車で向かう。休日も仲間と囲碁を打ち、家族で旅行やクラシックの演奏会にもよく出かける。お酒は好物だが、タバコは吸わない。高齢者とカテゴライズされる年齢になってもなお、心身ともに健康で充実した日々を送っていたことが日記から読み取れる。

それでもふとした瞬間にムッチャンを喪失した事実が心をかすめる。最初に飼ったモモはムッチャンとの付き合いも長かった。そのモモの眼差しにムッチャンが元気だった頃を思い出し、「ムッチャン」と話しかけてはモモの反応をみて感じ入ったりした。その思いが唐突にこぼれる日記も残している。

<生きてる人に会いたくない
 死んでいる人に会いたい。
 なぜって
 生きている人には
 いつでも会えるから
 '00 2.6(日)>

引っ越しをきっかけに形見のスケッチが頻出

半年後にレポート用紙を使い切ると、2冊目からはコクヨのA4キャンパスノートを使うようになった。2冊目の表紙には「日記(Mへの)」とわざわざ書いている。日々の暮らしや考えていることをムッチャンに伝えるための日記というコンセプトだ。墓前や仏壇の前で故人に語りかけるのに近い感覚だったのかもしれない。

その日記にさまざまな形見を繰り返しスケッチするようになったのは、6~7冊目にあたる2001年頃のこと。背景には20年ぶりの引っ越しがあるようだ。家を丸ごと移すとなると、物置や自部屋の押し入ればかりでなく、亡くなってから一度も触れずにいたムッチャンの部屋の扉も開けなければならなくなる。そして、封印されていたさまざまな形見と改めて対面することとなった。

<8.21(火)pm9.30
 ○○に行っていろいろ片付けていたら、Mの
 メッセージとか出て来ました。
 私の父の日のプレゼントに鋏を贈ったのですが
 お金が足りなくて、申し訳ないけどと書いてありました。(いつの頃か不明です)>

近場での引っ越しであり、立ち退き等の期限もなかったので、何度も両家を往復してゆっくりと進められた。ムッチャンの部屋を片付けるたびに、新鮮な思い出が掘り起こされる。ムッチャンがT医師にプレゼントした人形は改めて自室に飾った。部屋に貼っていた習字の作品ももらい受けた。「嫌なことの中にもいいことはある」と書いてあった。

何度も描かれた自部屋のスケッチ。2002年12月のもの(筆者撮影)
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