なぜ今、企業経営に「倫理」が求められるのか 「パーパス経営」の理想と現実をつなぐ判断軸
ガバナンスが形骸化しているから、という指摘は、一見もっともに聞こえる。経営を理解していない素人社外取締役を集めても、まともなガバナンスができるわけがない(もっとも、それが執行側の隠れた意図なのかもしれないが)。
最近は大物経営者OBが名を連ねることも増えたが、過去の経営経験は、次世代ガバナンスへの移行の妨げにすらなりかねない。一方、社内出身の取締役を見渡しても、ガバナンスの本質をきちんと習得している人財は稀だ。
そのような取締役会では、昨今の事態を憂慮し、コンプライアンス(法令準拠)の強化を唱える論調が絶えない。もちろん、法令違反はもってのほか。経営者が法令違反を侵したり、見て見ぬふりをしているのであれば言語道断だ。
しかし本来、コンプライアンスを律するのは、そもそも執行、そして現場側の本務である。現場が正しく行動しない限り、仕組みを強化しても、必ず綻びは出る。
それどころか、「コンプライアンス過剰」に走ると、現場も経営も萎縮してしまい、できるだけリスクを回避しようとする。その結果、ますます業績は好転せず、株主からプレッシャーを受ける中で、規制や監視の網をくぐろうとあがく。悪循環は続く一方だ。
何が間違っているのだろうか? そもそも、「ガバナンス」という発想そのものに、ボタンの掛け違いがあるのではないだろうか?
日本語では「統治」と訳される。しかし、その言葉自体、ただでさえ「大日本帝国統治時代」を想起させてしまうほど、恐ろしく前時代的だ。しかも、「上から目線」であることは一目瞭然。
自由意志のある人間の行動は、外から統治できるものではない。統治ではなく「自治」(セルフガバナンス)こそが、向かうべき方向である。そのためには、規制で縛るのではなく、1人1人が原理原則に基づいて自律的に判断し、良い行動をとるような組織風土を醸成することこそが、求められている。
エシックス経営の本質とは
そのような次世代モデルを、筆者は「エシックス(倫理)経営」と呼ぶ。そこでは、いかに社員が倫理観を研ぎ澄ませ、自らが正しいリスクをとって行動できるかが問われる。
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