なぜ今、企業経営に「倫理」が求められるのか 「パーパス経営」の理想と現実をつなぐ判断軸

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

優れたプリンシプルは、その企業や組織から離れても、そこで経験を積んだ人間の身体知として埋め込まれている。筆者が今なお「まじめな異論」(東洋経済新報社が掲げるパーパスでもある)を唱え続けるのも、マッキンゼー時代のプリンシプルが、刻印のように体に刻み込まれているからだろう。

「パーパス経営」第2章へ

そろそろ、パーパスを額縁から取り出し、1人1人が実践する段階へと進みたいものである。「パーパス経営 第2章」の幕開けだ。

そのためには、パーパスの自分ごと(マイパーパス)化だけでは足りない。パーパスはしょせん、「あったらいいな」という夢でしかないからだ。一方、現実は二律背反どころか「多」律背反だらけ。あちらを立てれば、こちらが立たず。きれいごとのパーパスだけでは、そのような現実を夢に近づける際の役には立たない。

パーパスを実践するためには、プリンシプルを経営者自ら、そして組織のメンバー1人1人に実装していく必要がある。多くの企業は、「フィロソフィー(企業理念)」「バリュー(価値観)」「カルチャー(企業文化)」などを高らかに掲げている。しかし、残念ながら、多くの場合、これらも「きれいごと」になってしまっている。

たとえば、「公正」や「挑戦」などという掛け声をよく見かける。しかし、そのような企業ほど、不正がはびこっていたり、挑戦できてないというのが実態である。パーパスは「夢」でよい。しかしプリンシプルは、現実の判断の軸となり、実際の行動に移さなければ意味がない。「ありたい姿」を唱えていても始まらないのだ。

パーパス経営の第2章は、いかにパーパスに魂を入れるかが課題となる。そのためには、パーパスを振りかざすだけでは能がない。それを実践するための判断軸としてのプリンシプルをしっかりと打ち立て、それを、経営者から現場まで、1人1人が自律的に行動できるまで、信念として心と体に刻む必要がある。

そうなって初めて、冒頭で述べた自律的な統治、すなわち、自治(セルフガバナンス)がみなぎった組織へと変態(メタモルフォーゼ)することができるはずだ。

名和 高司 京都先端科学大学教授

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

なわ・たかし / Takashi Nawa

京都先端科学大学ビジネススクール教授、一橋ビジネススクール客員教授
1980年東京大学法学部卒業、三菱商事入社。90年ハーバード・ビジネススクールにてMBA取得(ベーカー・スカラー)。その後、約20年間、マッキンゼーのディレクターとしてコンサルティングに従事。10年より一橋大学教授。22年より現職。ボストン コンサルティング グループ、アクセンチュアのシニアアドバイザー、ファーストリテイリング、デンソー、味の素などの社外取締役を歴任。現在、SOMPOホールディングスの社外取締役、朝日新聞社の社外監査役など。著書に『パーパス経営』(東洋経済新報社)、『超進化経営』(日本経済新聞出版社)、『問題解決と価値創造の全技法』(ディスカヴァー21)などがある。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事