あの「ポーター」が人気商品を大胆に変えた裏側 価格2倍にしても素材変えた吉田カバンの挑戦

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しかし就職活動の過程で、自分の辿ってきた道を振り返ってみると、吉田カバンという企業とのかかわりが色濃いことに気づかされた。創業者である祖父の家は仕事場とつながっていて、吉田さんが訪れると、祖父が「よく来たな」と迎えてくれた姿や、夜行で訪れる地方の取引先に祖母が朝ご飯を出している様子、誕生日に祖父から手縫いのカバンをプレゼントしてもらったことなど、「人生の思い出に吉田カバンがあったのです」。

入社を決心し、父である社長に話したところ、最初は反対された。家業だからという軽い気持ちで入るのはよくない――真剣に話し合って真意を理解してもらい、イタリアの専門学校に通ってから現地で働き、29歳で帰国して入社した。品質管理から始まり、さまざまな部署で経験を積んだ後、36歳で社長の任に就いたのだ。

36歳にして4代目社長となった吉田幸裕さん(写真:尾形文繁)

初代は29歳で吉田鞄製作所を設立

吉田カバンは1935年創業というから、90年近くにわたり、カバン一筋で歩んできた老舗企業。創業者である吉田吉蔵氏は、12歳でカバン職人を目指したが、17歳の時に関東大震災に遭遇する。

ものを運び出している人々の様子を見て、「カバンは、荷物を運ぶ道具としての役割をしっかり果たすものでなければならない」と、29歳で吉田鞄製作所を設立した。使うほどに馴染み、永く愛用してもらえるカバンを人々に提供することを標榜した。

ポーター表参道店には、創業者である吉田吉蔵氏のポートレートも(写真:尾形文繁)

ポーターが登場したのは1962年。このネーミングは、お客のカバンを預かるポーターは、本当のカバンのよさを知っていることに由来している。当時、日本のメーカーがオリジナルでブランドを作ることが珍しい時代だったが、「どういう会社が思いを持って作ったのかを伝える必要がある」という意図から、あえて自社ブランドを作ったという。

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