しかし幼稚園に入ったころから何がきっかけかはわかりませんが、まったく問題なくなったとのことでした。
このように人それぞれ恐怖の対象に違いがあり、年齢や環境によって変わってくる場合もあります。もしそうなら、恐怖だけを特別なものととらえずに、甘いものが好きとか嫌いとか、赤い色が好きとか嫌いなどと同じように、個人の傾向、個性として見るべきではないでしょうか。
それを無理に「直せ」と押しつけるから、よけいに追い詰められて、病的にエスカレートしてしまうのだと思います。
どう考えても、あらゆる恐怖を取り除くことなど不可能です。だとしたら、恐怖という強い言葉でとらえないで、「私は電話が苦手」「ちょっと好きじゃない」くらいのニュアンスでとらえていれば、気持ちが楽になるのではないでしょうか。
「電話恐怖症でよかった」と思える日のために
何かこわいものや固執するものがあっても、そのうち気にならなくなることもあります。丸いものがこわかった私の友人の子どもの例もそうですが、私自身にも同じ経験があります。
ちょうど大学卒業を控え、就職活動をしていた時期に強迫観念にとらわれたことがありました。
自分の手が、ちょっとしたことをしてもすぐに汚れてしまったように思えて、頻繁にせっけんで手を洗わないと気がすまない。家の中で家族が私のものにさわっただけでも、「お父さん、手、洗った?」と血相を変えて聞くので、えらく不興を買いました。
でも就職活動が終わって落ち着いたら、必要以上に手を洗うことはなくなりました。誰しも自分に余裕がないと不安が強くなる傾向があります。でもその不安の原因がなくなると、きれいさっぱり忘れてしまうこともあるのです。
私の場合も、しきりに手を洗っていたのは、手が汚染されているという恐怖ではなく、違うところに原因があったのです。その原因が取り除かれれば、恐怖は消滅したのでした。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら