「空き家を転々としながら暮らす」彼の快活人生 複数の拠点で暮らす「空き家ホッパー」の実態

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現住居は1階に2部屋+キッチンと水回り、2階に3部屋と一人暮らしには広すぎる家だ。が、前述したように地域商品の開発や、プロモーションなど地方を回る仕事をしていたため、上京してくる関係者も多く、そうした人たちとの宴会や宿泊など広さは無駄になっていない。都心の宿が高騰する中、空いている部屋を無料で提供することで人間関係は広がり、深くなった。

次の転機になったのは定年退職。一昨年、60歳ですっぱりと会社を辞めてフリーランスになったのだ。

「子どもが2人。塾などに月に5万円などとかかっていた時代もありましたが、離婚する頃には大学を出るか、出ないかという時期で、子どもにはかからなくなっていましたし、離婚して1人になれば誰かにお金を使う必要もない。荷を下ろしたような感覚がありました」

1つの会社からだけ給料をもらう暮らしから、いろいろなところから少しずつもらう暮らしへ。それまでに築いてきた人間関係がその生き方を助けてくれると考えた。

春と秋は宮崎の「ぽつんと一軒家」で過ごす

退職の少し前から通うようになったのが宮崎県の諸塚村だ。3年前に知人を通じて存在を知り、熊本から足を延ばして訪れた後、縁あって2度、3度と訪れることに。そこで特産の椎茸のブランディングを提案し、仕事で関わっているうちに村の山のてっぺんにある古民家体験交流施設に滞在することになった。長期に滞在する必要があったためだ。

「以前はキャンプなどにも使っていた場所ですが、コロナで利用されなくなり、その後の大雨で直接繋がる道路が被災しました。土地を知らない人には案内しにくいということで、現在はほぼ使われない、いってみれば空き家に近い状態です。

今は春、秋にそれぞれ2カ月ずつ滞在。時々村のイベントに東京の知人を紹介、アテンドしたり、友人たちを村に呼んだりしています。これまでにコロナ禍だった時期も含めて100人ほどが遊びに来ていて、そのうちには2度3度と来ている人もいます」

大正時代、明治時代に建てられた2棟からなる施設は最大で30人ほどが泊まれる大きなもので、囲炉裏、五右衛門風呂があり、都会から訪れた人たちには非日常を楽しめる場所。繰り返し訪れる人がいるのもわかる。なんといっても「ぽつんと一軒家」そのものなのである。

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