「危険すぎる山」で"幻の虫"を追うハンターの矜持 クマに30回以上遭遇、妻は大激怒…それでもなぜ行く?
虫オタのクワガタ採集は、父親によく山に連れていってもらった子ども時代から始まる。
ミヤマクワガタやノコギリクワガタ、ときにはヒラタクワガタが採れても、オオクワガタは見つからなかった。図鑑では生息地が「日本全土」になっている。じゃあ自分の住んでいる地域にもいるのではないか? 自転車で行ける範囲を探し回るが、気配すらもない。
「いったい、どこにいるんだ?」
これはかつてのクワガタ好きな少年たちが、一度は抱いた疑問だった。罪なのは当時の昆虫図鑑である。長年にわたって版を重ねているため、初版が昭和30~40年代のものが多く、監修した学者は戦前の生息記録をもとに記載したと思われる。
かつては東京都目黒区にもいたとされるが、高度経済成長期以降に全国的に進んだ大規模な開発で、平野部におけるオオクワガタの生息環境は大幅に減少した。
もともとノコギリクワガタやヒラタクワガタなどよりも圧倒的に数が少なく、昭和後半には子どもたちが探せる範囲内では、ほぼ姿を消していたと考えられる。
現代においてオオクワガタを見つけるには、広範なエリアを回るために車が必要であり、高額な交通費を捻出できる経済力がなければならない。さらに自力で採るためには、粘り強く遠征を重ねる覚悟がいる。これらは大人にならなければ無理なことだった。
自分の力で生息ポイントを見つけ出す
虫オタは大学時代に、クワガタを求めて離島回りを開始した。伊豆大島や神津島、八丈島から始まり、沖縄本島、西表島、石垣島など、それぞれの島の固有種を探しまくった。
伊豆大島には本州産よりも大型になるノコギリクワガタが、神津島には珍種のミクラミヤマクワガタ、沖縄や八重山諸島にはマルバネクワガタがいた。台湾や東南アジアにも遠征し、マレーシアに憧れのクワガタに会いにいく。
高校時代に原付免許をとり、オオクワガタを探しに相模原から山梨に行ってはいたが、ミヤマクワガタが採れる程度だった。大学時代にも「運よく採れたら」と思って何度か通ったが、全くかすりもしなかった。本格的にオオクワガタに取り組み始めるのは、社会人になり車を購入してからである。
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