「お嘆きになるのはもっともですが、しかしそんなに悲しんでばかりいらっしゃるのもいかがなものでしょう。何ごともそうなるさだめなのでしょう。悲しみもきっといつかおさまりますよ」と大将はなぐさめる。そして心中で、この女宮は噂に聞いていたよりも心の奥が深い方のようだけれど、かわいそうに、夫を亡くした悲しみに加えて、世間の笑い者となることを悩んでいるのだろう……、と思うと、心がざわつき、大将はたいそうねんごろに宮の様子を御息所に訊いてみる。宮の顔立ちはそうすばらしくはないだろうけれど、見苦しくて見ていられないほどでないならば……。どうして見た目がよくないからといって、妻に飽きたり、道に外れた恋に溺れたりしていいものか、みっともないではないか。やはり結局のところ大切なのは、気立てではないか、と大将は思うのである。
「どうぞ私を亡き人と同じようにお考えになって、遠慮なさらずにおつきあいください」などと、ことさらに口説くわけではないが、親しげに好意をほのめかす。直衣(のうし)姿はじつにきりっとして、身の丈は堂々として、すらりとして見える。
いっそのこと
「亡くなった大殿(おとど)は、何ごとにつけてもやさしくて優雅で、上品で、人を惹きつける魅力がだれよりもある方だった。こちらの大将は男らしくて明るくて、なんておきれいなのかと、一目でわかるはなやかさが、ずば抜けていらっしゃる」と女房たちはひそひそとささやき、「いっそのこと、こんなふうにお通いくださればいいのに」などと言うのだった。
「右(ゆう)将軍が墓(つか)に草はじめて青し」と大将はふと口ずさむ。それも、実際遠からぬ時代に亡くなった人を悼んだ詩の一節である。遠い時代も近い時代もあれこれと人を悲しませるできごとが多い世の中で、身分の上下なく、督の君の死を惜しみ、無念に思わない人はいない。表立った才覚はもちろんのこと、不思議なほど情深い人だったので、それほど縁が深かったわけではない役人たちや、年老いた女房たちですら、督の君を慕い悲しんでいる。まして帝は、音楽の催しなどがあるたびにまず督の君を思い出し、悲しくなつかしく思うのだった。「あはれ、衛門督(えもんのかみ)」という言葉が広まり、何かにつけてつぶやかない人はいないほどだ。六条院の光君はまして、しみじみと思い出すことが月日がたつにつれ多くなる。女三の宮(おんなさんのみや)の産んだ若君を、自分の心の内だけでは、督の君の形見と思っているけれども、ほかの人は思いも寄らないことなので、まったく甲斐のないことである。秋の頃になると、この若君ははいはいなどをするようになり……。
*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです
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