花は盛りと咲くけれど
督の君は大将より五、六歳ほど年上だったけれど、じつに若々しくて優美で、なよなよしたところのある人だった。この大将の君は生真面目で重々しく、いかにも男らしいのだが、顔だけはじつに若く、気品に満ちてうつくしい様は格別である。若い女房たちは、その姿に悲しみも少し紛れるような気持ちで見送った。庭前の桜がそれはみごとに咲いているのを見て、「今年ばかりは」(深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染(すみぞめ)に咲け⦅古今集/深草の野辺の桜よ、心があるならば今年ばかりは墨染に咲け⦆)とつい思い浮かべるが、縁起でもない歌なので、「あひ見むことは」(春ごとに花の盛りはありなめどあひ見むことは命なりけり⦅古今集/春になるごとに花は盛りと咲くけれど、それを見られるかどうかは命しだいだ⦆)と口ずさみ、
時しあれば変らぬ色ににほひけり片枝(かたえ)枯れにし宿の桜も
(桜の時期となれば昔と変わりなくうつくしい色に咲き匂うものなのですね、片枝が枯れてしまった邸の桜も──督の君を失ったあなたも)
さりげなく吟じて立ち上がると、御息所からすぐに、
この春は柳の芽(め)にぞ玉はぬく咲き散る花のゆくへ知らねば
(今年の春は、柳の芽に露の玉を貫くように、目に涙を宿しています。咲いて散る桜の行方もわからないので)
と返歌がある。格別深い教養があるわけではないが、はなやかで、才気があると言われていた更衣(こうい)なのである。なるほど、そつのない対応だと大将は思うのだった。
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