花は盛りと咲くけれど…故人思う人々の胸の内 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・柏木⑩

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(写真:micromagic/PIXTA)
輝く皇子は、数多くの恋と波瀾に満ちた運命に動かされてゆく。
NHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部。彼女によって書かれた54帖から成る世界最古の長篇小説『源氏物語』は、光源氏が女たちとさまざまな恋愛を繰り広げる物語であると同時に、生と死、無常観など、人生や社会の深淵を描いている。
この日本文学最大の傑作が、恋愛小説の名手・角田光代氏の完全新訳で蘇った。河出文庫『源氏物語 5 』から第36帖「柏木(かしわぎ)」を全10回でお送りする。
48歳の光源氏は、親友の息子である柏木(=督(かん)の君)との密通によって自身の正妻・女三の宮が懐妊したことに思い悩む。一方、密通が光源氏に知れたことを悟った柏木は、罪の意識から病に臥せっていく。一連の出来事は、光源氏の息子で柏木の親友である夕霧(=大将)の運命も翻弄していき……。
「柏木」を最初から読む:「ただ一度の過ち」に心を暗く搔き乱す柏木の末路
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花は盛りと咲くけれど

督の君は大将より五、六歳ほど年上だったけれど、じつに若々しくて優美で、なよなよしたところのある人だった。この大将の君は生真面目で重々しく、いかにも男らしいのだが、顔だけはじつに若く、気品に満ちてうつくしい様は格別である。若い女房たちは、その姿に悲しみも少し紛れるような気持ちで見送った。庭前の桜がそれはみごとに咲いているのを見て、「今年ばかりは」(深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染(すみぞめ)に咲け⦅古今集/深草の野辺の桜よ、心があるならば今年ばかりは墨染に咲け⦆)とつい思い浮かべるが、縁起でもない歌なので、「あひ見むことは」(春ごとに花の盛りはありなめどあひ見むことは命なりけり⦅古今集/春になるごとに花は盛りと咲くけれど、それを見られるかどうかは命しだいだ⦆)と口ずさみ、

時しあれば変らぬ色ににほひけり片枝(かたえ)枯れにし宿の桜も
(桜の時期となれば昔と変わりなくうつくしい色に咲き匂うものなのですね、片枝が枯れてしまった邸の桜も──督の君を失ったあなたも)

さりげなく吟じて立ち上がると、御息所からすぐに、

この春は柳の芽(め)にぞ玉はぬく咲き散る花のゆくへ知らねば
(今年の春は、柳の芽に露の玉を貫くように、目に涙を宿しています。咲いて散る桜の行方もわからないので)

と返歌がある。格別深い教養があるわけではないが、はなやかで、才気があると言われていた更衣(こうい)なのである。なるほど、そつのない対応だと大将は思うのだった。

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