例えば、実行すると絶対に元が取れないような案であっても、「あの人が言うなら仕方ない。やらせてみよう」といったような形で承認されたり、逆にせっかく有益な提案があっても「あの人は先日、自分の案に反対したから絶対に反対する」などとなってしまったりするのです。好きだから「良い」、嫌いだから「悪い」となるので、実はどちらに転んでも大変なことになります。
しかも、こういう「情緒的な意思決定」による失敗に対して、「人間だから仕方ないね」などと寛容な人が結構多くいます。つまり、誤った意思決定に対しての反省をしないので、間違いは何度も繰り返されます。
「論理的反証」を許さない雰囲気ができた時点でアウト
さらに困るのは、好き嫌いで賛成反対を決める人がいるだけでなく、「同調性が高いグループ」になってしまい、異なる観点からの論理的反証さえも許さなくなることです。何事も情緒的に受け取るため、数字をもとにした議論さえ「単なる反対」としか受け取らなくなってしまいます。
地域を活性化するための計画が、しっかりした計画なのか、トンデモ計画なのかは、数字をもとにした議論をすればすぐわかるわけですが、「まちづくりは、お金ではない!」などとよくわからない精神論を語りだし、論理的反証を潰していってしまいます。
本来、トンデモ計画は論理的に検証し、事前に数字を見ていけば不可能であることがわかるプロジェクトばかりです。
例えば再開発ビルを建設するといっても、毎月のビル運営にかかる固定費が高すぎる一方、テナントから受け取る賃料設定が地元の相場とかけ離れていたりします。これだと計画時点でテナントが集まらない可能性が高く、収支は赤字が濃厚。なのに再開発にゴーサインが出たりします。
また、最近地方自治体ではやりの図書館もトンデモ計画になりかねません。財政力を考えたら、図書購入費を捻出できなくなるような高級図書館開発であったりします。全て数字で見ていけば、持続可能なのかどうかがわかります。
しかし、数字をもとにした問題の整理を提案すると「彼(彼女)は活性化の邪魔ばかりする」とか、しまいには「否定的な意見ばかり言わずに、どうやれるのか提案したまえ」という有難いご指導までいただいて、二度と呼ばれなくなるわけです。
その結果、論理的な人ほど地域における意思決定にかかわらなくなり、時には、その地域を離れていくことにもなってしまいます。結果、ますますもって同質性をもった異論のでない、勢いだけをもった計画が暴走していきます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら