日銀は、いつから株価を支えるために金融政策を行うようになったのか。2008年のリーマンショックのように世界金融システムが崩壊危機にあるわけでもなく、2011年の東日本大震災のように経済・社会が困難に直面しているわけでもない。株価が乱高下しただけなのだ。日銀史上初、少なくとも1999年に独立性を得てからは、初の出来事である。
世間に怒られ、変わった日銀
いったい、日銀に何があったのか。「世間」に「怒られた」からである。
もともと、その気配はあった。7月31日の植田総裁記者会見のときも、ハト派から急にタカ派に変わったように見えた。政策の中身というよりも、説明の仕方だ。
メディアでは「自民党の有力者や大臣あるいは首相までもが、円安に関して苦言を呈したからではないか。それが理由で利上げしたのではないか」と言われた。市場の催促もあった。
利上げ期待が海外で7月初めに高まった。しかし、国内勢は当初、メディアからの事前の記事が出ないことから、「今回の利上げはないのでは」とみていた。
はたして、31日当日の朝、詳細な利上げの決定の可能性の記事が複数のメディアから出た。その内容は、利上げ決定の内容、説明文と合わせても、事後的にもあまりに事前の報道は正確な「可能性」の「憶測」記事であった。この毎度のリークも政治が関係しているのか。日銀は、これに抗議しないのか。
政治、市場に迫られて、日銀はこれに屈したのか。私は、そうではなく、政治でも市場でもない「第三の力」「世間」に非難されたからだとみている。
メディアだけでなく、円安がどんな過程で起きているのかもよくわかっていないごく普通の国民から「日銀の政策のせいで、円安で物価高になって本当に困っている」「生活が苦しいのは日銀のせい」とレッテルを貼られ、それに耐えられなかったのである。
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