「小学校は家から歩いて5分の1学年120人くらいの環境だったのですが、勉強で人と競おうと考えたことは一度もありませんでした。小学校を卒業してからも、みんな同じ中学校にそのまま進んでいたので、中学受験は存在すら知らなかったですね」
数学だけは相変わらず好きで「ほとんど100点だった」後藤さん。ただ、国語や理科は、5段階評価中3くらいの成績でした。高い内申点が必要となる公立高校には行けませんでしたが、最終的に私立の名門、清風南海高等学校を専願で受験して合格し、進学しました。
高校に入ってから、中学時代と大きく変わったことの1つは、通学時間が増えたことでした。自宅があった平野区から高石駅の通学は、片道1時間15分かかるため、毎日6時ごろには起きて、23時ごろには寝る日々を過ごします。
「どんなに遅くても朝7時9分の電車に乗らないと学校に間に合いませんでした。でも、つらくはなくて、電車の中で数学のチャート式を立ち読みしたり、英単語を勉強して、移動時間を有効に使えたのがよかったですね」
「中学まで歩いているときにも、頭の中でずっと公式を作ったり、世の中にある公式を調べたりしていた」と語る後藤さんは、高校になってからも数学は上位1割をキープしました。
友達の影響で進路を考えるように
そして進路に関しても、高校に入ってからの出会いで、行きたい大学が定まってきたそうです。
「中学までは何も(将来のことを)考えていなかったのですが、明確に意識が変わったのは、高1のときに後ろの席にいた子が、いつも戦闘機がいかにかっこいいかを語っていたことでした。
彼は、自分の好きなことを学ぶために『俺、京大の航空行きたいねん』と言っていました。彼の影響で自分も、人間の手がとても届きそうにない世界である宇宙に興味を持ったので、大学に入って航空宇宙を学びたいと思いました。そこで、どうせやるなら上に行きたいと思って東大を志望したのです」
1年生のころは高校からの入学者だけのクラスで勉強をしていたので、順位を意識してませんでしたが、2年生の始めに中学受験で入った人たちとクラスが一緒になってからは、定期試験がいつも約250人中50番くらい、実力テストではいつも20~30番を確保していました。
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