「1浪東大合格後に京大受験」彼が驚く選択した訳 浪人して進学したもののアメフトに熱中し…

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今度はちゃんと勉強しようと思った」と語る後藤さん。とはいえ、東京大学よりも強いアメフトチームだった「京都大学ギャングスターズ」がどうしてあんなに強いのだろうという興味があったため、そこでコーチを始めました。

コーチ生活を1年3カ月ほど続けたあとに、ギャングスターズを応援する方々の支援を受けながら、大阪屈指の名門公立高校である北野高等学校の近くに2つ部屋を借りて、北野高校の野球部員に勉強を教え始めました。

「北野高校の野球部の子たちが月5万で寝泊まりできる環境を作って、僕が常駐していつでも勉強を教えられるようにしました。なぜ野球部かというと、ギャングスターズの当時の監督が『いちばん運動の基礎ができていて、いろんな動きができているから、アメフトをやってもらうのにいちばんいい』とおっしゃったからです。だから、勉強を教えて京大に入ってもらって、ギャングスターズに入ってもらえたらいいなと思っていました」

この施設で実際に教えていた野球部の子たちは、京大のアメフト部に入り、同じ代で主将と副将を務めたこともあったそうです。

肝心の後藤さん自身も、大学での勉強を真面目に取り組み、2回生から無事、希望していた航空宇宙工学専攻に進みました。大学院でも工学研究科航空宇宙工学専攻航空宇宙力学講座に順当に進み、指導教授のもとで研究し、修士号を取った後藤さん。北野高校の生徒を教える活動も、大学院修了後まで続けました。

進路に悩む中で見つけた自分の道

こうして勉学とアメフトに学生生活を捧げた後藤さん。大学院のときに、就職活動をすることも考えたそうですが、自分が教えた生徒が京大に入ることで指導の面白さに目覚め、進路についてはしばらく悩んでいました。

「ひょっとしたら大学院で共同研究をしていた大企業に就職できるかもしれないとも思ったのですが、京大に生徒を送り込む活動があまりにも面白かったので悩んだんです。

もともと『数学が嫌い』と言ってた子が、『おもろいやん!』って言ってくれた瞬間が、本当にとても楽しかったんですね。それで、『自分はホンマに航空宇宙の道に進みたいのか?』と考えたんです。いろいろと悩んだのですが、今やっているこんなに面白いことを手放すべきなのか?と考えて、『おもろく生きるならこっちや!』と、塾で教える道を選びました」

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