89歳の母を見送った家族に残った「清々しい記憶」 悲しみのかわりに残った"かけがえのないもの"

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母親の「反対」は「拒否」ではなく、自分を応援してくれる父親との「役割分担」だったんじゃないかと、原山さんはふいに思った。すると涙が出てきた。

「しかも、私を心配するゆえの『反対』で、かあちゃんなりの愛情表現だったんじゃないかって思うと、過去の複雑な感情が一瞬で溶けていきました。ようやく親子間の答え合わせができたような気持ちでした」

そのおかげか、告別式後に火葬炉に母親を入れた際、原山さんは悲しみよりも、自分でも意外なほどのすがすがしい達成感に包まれた。

「『かあちゃん、ありがとう。いってらっしゃい!』という気持ちで見送れました。8年前に他界した父親の最期は、今でもすっきりとしない残念なものでしたが、それとはまったく違う感覚でした。看取り士の山口さんとのつながりがあったおかげで、ぜんぜん違う看取りができました」(原山さん)

父親の最期は、母と長男、原山さん夫婦で囲み、息を引き取る姿もしっかりと見た。それでも原山さんは当時の喪失感を今なお引きずっている。テレビで介護場面などを見ると、父親の最期が思い出されてメソメソしてしまうことがあったからだ。

だが、父親の看取りでは、母親のときのようにその体に触れることも、他界後の数日を一緒に過ごすことも、さまざまな思い出を家族と共有することもなかった。しかも、母親が他界後の揺れる気持ちを受け止めてくれる、看取り士のような第三者もいなかった。それらが大きな違いだった。

看取り士の山口さんは、原山さんの依頼を受けて初七日に実家を再訪。その際、原山さんのとても凛(りん)とした姿に驚いたという。

「お母様の余命が『今日か明日か』と涙声で話されていたときとは、まるで別人のようでした。原山さんのご主人も『嫁さんがさらにパワーアップしています』と、苦笑しながら話されていましたから」

看取り後の感情の変化を言葉にして共有する

もうひとつ触れておきたいことがある。実家での5日間、原山さんは自身の感情の動きを日々、山口さんにメールで送っていた。

原山さんが「悲しくて今は泣き虫になっています」と送ると、山口さんは「泣いてもいいんです」と返信した。別の日には、「(天気予報通りだと)かあちゃんの葬儀の日は台風直撃だよ」と送信すると、山口さんは「お母さんにお願いしてみたらいいですよ」と返した。

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