89歳の母を見送った家族に残った「清々しい記憶」 悲しみのかわりに残った"かけがえのないもの"

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「診察の前後に母の好物のスイカやミカン、せんべいなどを車中で食べてもらいました。母は毎回『今日はどこへ遊びに連れて行ってくれるんだい?』って、ずいぶんうれしそうで、とてもはしゃいでいました」(原山さん)

施設からの外出時、スイカを車中で嬉しそうに食べる母親(写真:原山さん提供)

車内でスイカをタッパーからうれしそうに取り出そうとする、母親の写真が残っている。食べることが大好きな母親にも、母親の希望を尊重しきれなかった娘にとってもホッとできる時間だった。

母親を抱きしめて感じた懐かしい温もり

だが、冒頭の写真とメールが届いた翌日の午後9時すぎ、母親は旅立った。原山さんら家族は緊急連絡を受けて病院に向かったが、死に目には会えなかった。諸手続きをようやく済ませて入室したら、「たった今、お亡くなりになりました」と言われた。

病院はコロナ禍の厳戒態勢下だった。看取り士の山口さんも原山さんから連絡を受け、車で1時間超かけて到着して病院の駐車場で待機。原山さんの希望に応じ、主治医や看護師らが原山さんの車まで母親を運んでくれた。母親が肺炎で亡くなっていたからだ。山口さんも午前0時前に原山さんの実家に着いた。

山口さんは原山さん夫妻と長男夫妻に看取り士としての死生観を伝えた。「死に目に会える、会えないよりも、亡くなった後の本人の体の温もりとエネルギーを、家族がしっかりと受け取ることが大切」という前向きな考え方だ。

その後、山口さんはまず長男に看取りの作法を説明した。その指示通りに、長男は自身の左太ももに母親の頭をそっとのせ、背中に手を回して母親に自分の顔を近づけた。長男は黙ってそのまま動かない。やさしい目で、ただただ愛おしそうに母親を延々と見つめていた。

「本来なら、私からご遺族に『どんなお母様でしたか?』などとお尋ねして、思い出話をうかがうのですが、お兄様とお母様がすでに慈愛の世界をつくられていたので、そうした言葉がけはいらないと判断しました」(山口さん)

看取り士の派遣を依頼したのは妹の原山さんだが、山口さんは看取りの作法ではお兄さんを優先した。その理由をこう説明する。

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