「依頼者だけでなく、その場にいらしたご家族の皆さんにとって、いいお看取りになってよかった、という空気感をつくることが最も大切だからです」
母の死の前日に、長男は妹から看取り士の派遣依頼のことは聞いていたが、おそらく「看取り士」という言葉もそのとき初めて知ったはずだ。後日、長男は「最後に母を抱きしめるなんて思ってもみなかったけれど、本当にやれてよかった」と、原山さんに話したという。
続いて、原山さんが母親の頭を自分の太ももにのせ、看取りの作法を始めた。
「もう午前1時頃で、亡くなってから4時間近く過ぎていたんですけど、かあちゃんの背中に触れると、なんともいえない優しい温もりで、子供の頃に感じた懐かしい感触でもありました」(原山さん)
オンラインでの取材時、彼女は画面に両手をかざしながら、「こうして当時のことを話していても、なぜか看取りの作法をしていたときみたいに手が赤く、そして温かくなってきました」と話してくれた。
母親への長年のわだかまりも一緒に看取る
8月中旬でお盆に近く、暦上の友引(ともびき)も重なり、寺の都合で葬儀は5日後になり、原山さん夫妻、長男夫妻と孫らと実家でゆっくりと過ごした。
実はその間、原山さんは先述した看取りの体勢で、母親を毎晩抱きしめていた。そのたびに「かあちゃん、私に何かメッセージをちょうだい」と願ったが、何も聞こえなかったと、少し照れくさそうに明かした。
「老いて小さくなっていった体は、なぜか少しずつ重たくなっていったんです。最後は抱きしめる際に、頭から枕を外すことも一苦労でした」(原山さん)
子供の頃から、原山さんは自分がやりたいことを口に出すと、父親はいつも無条件に応援してくれたが、母親は反対することが多かった。そして娘に小言を言いながらも、最後はその選択を受け入れてくれていた。
だから施設に入れたことを詫びる反面、長年のわだかまりも吐き出した。
「私はかあちゃんの言うことをよく聞く、いい子じゃなかったけど、私がやりたいと思ったことを、もう少しすんなりと応援してくれてもよかったんじゃない?」と。
ところが、翌日に葬儀場での通夜が予定されていた最後の夜のことだ。
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