英国の作家サルマン・ラシュディが1988年に発表した小説『悪魔の詩』には、イスラム教の開祖ムハンマドの生涯を戯画的に描いた部分があり、イスラム教を侮辱するものとされた。イスラム教徒の宗教的尊厳を傷つけたということで、当時の宗教的指導者ホメイニ師は、作者のラシュディに対して、全世界に通用する死刑宣告を下したのである。同書の翻訳にかかわった者も同罪とされ、日本語に翻訳した日本人の学者が殺害された。
これは極端な事例かもしれない。だが、「イスラム教徒は過激だから恐ろしい」などと、排斥的に考えるべきではない。世界のどこの誰が相手であれ、「尊厳」にかかわる部分については、慎重を期するに越したことはないのである。
自他の言動を評価する「偽善」という傾向
対話において「偽善」は避けるべきとされている。この場合の偽善とは、自分の言動を評価する規準と、相手の言動を評価する規準が異なることを意味する。
この意味からすると、誰しも偽善の傾向があるように思われる。偽善の傾向は、たとえば相手を徹底的に攻撃する「戦うコミュニケーション」において顕在化する。
基本的な発想としては、自分はつねに正義で、相手はつねに不義。
自分の相手に対する批判はつねに正当だが、相手の自分に対する批判はつねに不当な言いがかりである。
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