自分がそれを知らないのは仕方のないことだが、相手がそれを知らないのは不勉強である──。
要するに、自分に甘く、相手に厳しいことを偽善というのだ。ただ、これは人間の自然な傾向なのかもしれない。無意識のうちに、自分に対する評価規準は甘くなりがちであり、相手に対する評価規準は厳しくなりがちなのである。
とはいえ、こういったダブルスタンダードの下で好き勝手なことを言っていたら、対話はもちろんのこと、建設的な議論はできない。
まずは、自分の中で評価規準を統一すること。自他の言動を同じ俎上に載せて評価すること。これが対話的な意味での「クリティカル(批判的)」な態度なのである。対話における自由な発言とは、その制限の下で最大の力を発揮するのだ。
逆に言えば、自分の中で評価規準が統一されていないと、対話においては何を言ったところで、「おしまい」なのである。
日本教育大学院大学客員教授■1966年生まれ。早大法学部卒、外務省入省。在フィンランド大使館に8年間勤務し退官。英、仏、中国、フィンランド、スウェーデン、エストニア語に堪能。日本やフィンランドなど各国の教科書制作に携わる。近著は『不都合な相手と話す技術』(小社刊)。(写真:吉野純治)
(週刊東洋経済2011年9月24日号)
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