対話の技法/言ってよいこと悪いこと 対話における発言の抑制

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個人と集団の尊厳には慎重な対応が肝要だ

欧米というと、表現の自由が尊重されていて、何を言っても「おしまい」にはならないようなイメージがあるようだ。ただ、世界のどこでも、程度や感覚の違いはあれ、「長幼の序」のような発想はあるし、「空気を読む」ことは不可欠なので、あまり好き放題に発言すると、それこそ「おしまい」になりかねないので、注意したほうがよい。

もう一つ、興味深いポイントがあるので紹介しよう。

教育立国とされるフィンランドで、国語の教科書の制作に関与したときのことだ。フィンランド教育では、就学前(6歳)から、対話による問題解決の手法を体系的に指導している。多様な知識と経験を総動員して、多様な価値観に基づく発想を出し合いながら協働することを重視しているのだ。そのためには、自由な発言を確保することが肝要である。何かに遠慮して発言を控えているようでは、対話による創造的な問題解決はできないからだ。

ただ、一点だけ、独特のルールがあった。個人の尊厳にかかわる問題、そして民族の尊厳にかかわる問題について考えさせたり、発言させたりする場合は、「大いに慎重にならなければならない」というのだ。

フィンランドの国語教育では、小学校5年生で『カレヴァラ』という民族叙事詩を古典文学として教えることになっている。かつてフィンランド人は、先住民族と戦って「サンポ」という「文明を生み出す機械」を奪い取ることにより、現在の繁栄を築き上げた──というような内容の、壮大なる叙事詩である。

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