プロイセン王のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世(在位1713〜1740年)は、どうやら普通の君主よりも変わっていたようで、病床にあったとき、これらの長身の兵士たちを目の前で行進させて、自らを元気づけた。
彼は、訪れていたフランス大使にポツダム巨人軍を披露した折には、「世界一美しい娘や婦人には関心がないが、背の高い兵士たちに私は目がない」と言った。
王の執着はとどまる所を知らず、彼はヨーロッパ中の長身の人々を拉致して兵士にしたと言われている。
あるときなど、(当時とすれば巨額の)1000ポンドも払って、ロンドン市街でアイルランド人の巨人を捕まえる作戦を実施した。
このような拉致の企ての費用が嵩(かさ)むと、背の高い人に子どもをもうけさせようとし、長身の男性を無理やり長身の女性と結婚させ、長身の赤ん坊には未来の兵士とわかるように、赤いスカーフで印をつけた。
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、馬車に乗るときには、背の高い兵士たちに、手を馬車の上にかざしながら両側を歩くようにさせ、腕の長さを誇示させた。
まったく無意味だった身長に対するこだわり
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世のおかしな性癖は脇に置くとして、身長に対するこのこだわりは、すべて意味がなかった。
彼が支配していた頃の近代の戦闘では、背の高さは際立った特徴としては事実上無効になっていた。銃と、引き金を引きたくてウズウズしている指さえあれば十分だった。
歴史ならではの詩的なかたちでこの点を証明するかのように、ポツダム巨人軍は解体された。イエナ=アウエルシュタットの戦いで、背の高いプロイセン兵士たちが、巨人にはほど遠いナポレオン・ボナパルトに打ち負かされたときのことだった。
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が信じていたように、これらの長身のプロイセン兵たちが見事なまでに美しかったかどうかは、議論の余地がある。だが彼らは、進化のミスマッチの見事な例であることは間違いない。
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、もう大きな利点を与えてくれない特性に基づいて彼らを選んだ。彼は、ポツダム狙撃兵連隊を編制していたほうがよかったのだが、身長に執着してしまった。奇妙で不合理に思える。
とはいえ、近代以降の社会での私たちの選択をより綿密に調べてみればみるほど、私たちには身長にこだわった18世紀のプロイセン王との共通点が多いように思えてくる。
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