「限りある人生で自分は何を重視して、何に時間を費やすのか」は人それぞれである。宣孝の場合は、女性のために時間を費やし、相手の心をつかむべく努力していた。式部に対しても盛んに和歌を贈って、なんとか20歳年下の女性に近づこうとしている。
宣孝は式部に対して、春の雪解けをみては「君の心も私に打ち解けるべきだよ」とメッセージを送り、しまいには、手紙の上に、わざわざ朱を振りかけて「涙の色を見てください」とまで書いている。その情熱には、恐れ入るばかりである。
紫式部とは正反対のムードメーカーだった
口説かれた側の式部はどう思ったのか。
「くれなゐの 涙ぞいとど うとまるる」(紅の涙などというと、ますます疎ましく思う)と、必死な中年男に当初はドン引き。「うつる心の 色に見ゆれば」(変わりやすい心が、この色ではっきりと見えているので)と拒絶している。
思い人から冷たくされれば、普通はそこで諦めてしまってもおかしくはないが、モテる人は「自分の存在を印象づけられた」とむしろ、手ごたえを感じるものらしい。
そこからも和歌で交流を深めていった宣孝。式部が越前を離れて京に帰ってくれば会いに行き、結婚を十分に意識させてから「隔てのない仲になりたい」と訴えている。
宣孝はそうして式部にアプローチをしながら、近江守の娘にも接近していた。その所業は式部の耳にも入っており、「いっそ、あちこちの女に声をかけてはいかが?」と和歌で皮肉を放つこともあった。
だが、「ほかの女性にも声をかけている」と知ってもなお、式部にとっては宣孝が、いつしか特別な存在になっていたらしい。結局は、求愛を受け入れて、2人は結婚に至っている。
いったい、式部は宣孝のどんなところに惹かれたのだろうか。
宣孝は、御嶽詣においても、空気を読まずに一人だけ派手な格好で出かけていき、「まさか御嶽様が『粗末な服装で詣でよ』とは言わないだろう」と言って、周囲を呆れさせるような男だ。
手紙で「血の涙」を演出したように、相手の意表を突くような言動が多い。踊りも得意だったから、場を明るくするようなムードメーカーだったのだろう。
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