NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第27回は一条天皇の波乱な人生と、素顔が分かるエピソードを紹介する。
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一条天皇は高く評価されていた
「天下、甘心せず(天下は感心しなかった)」
藤原実資が日記の『小右記』でそう記しているとおり、一条天皇の行動は、宮中でも問題視されていたらしい。一条天皇は、兄・伊周の不祥事により出家している定子のことが忘れられず、職曹司(しきのぞうし)に移してまで寵愛を続け、物議を醸すこととなった。
よほど呆れたのか、実資は「太(はなは)だ稀有なことなり(とても珍しいことである)」とまで書いている。納得できないと藤原道長の命にすら従わなかった実資らしい辛辣さだ。
しかし、そこには「賢明な一条天皇らしくない」という、実資の思いも込められていたのではないだろうか。
というのも、一条天皇には、実資と同様に「ダメなものはダメ」という一本筋が通ったところがあり、また側近からも「好文の賢皇」と高く評価される人物だった。
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