即位当日に「生首事件」一条天皇の波乱すぎる人生 政治環境が変わる一方、文芸や猫好きな素顔も

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しまいには、病に苦しむ伊周の父・道隆まで一条天皇に「伊周を関白にしていただきたい」と言い出したのだから、この親にしてこの子あり。

道隆の死後は弟の道兼が跡を継ぐが、数日で亡くなってしまう。そこで一条天皇は、道兼の弟である道長に「内覧」という関白に準じた役職を与えている。

母の詮子が伊周の関白就任を望まなかったことに加えて、伊周に対する宮中の反発ムードを感じ取り、一条天皇は「伊周では、みなをまとめられない」と冷静に判断したのだろう。

親しき伊周に「ダメなものはダメ」としっかり伝えながら、母の意向も汲んで、ライバルである道長のほうを引き上げていった。暴走気味の伊周に呆れていた実資も、溜飲が下がる思いがしたのではないだろうか。

文芸詩歌・音楽・猫を愛した名君

文芸詩歌だけではなく、横笛など音楽の技芸にも長けていた一条天皇。猫が好きで、五位の官位とともに「命婦のおもと(御許)」という名前まで与えたこともある。

そんなお茶目な一面がありながらも、基本はマジメな一条天皇のことだから、地震や洪水など不幸な災害が相次いだことには、自身に責任を感じていたことだろう。当時、災害は「王道に背いた為政者に対する天の警告」だと考える向きもあったからだ。

だが、蔵人頭として一条天皇のそばに仕えた藤原行成は「一条天皇に責任はない」と考えた。長保2(1000)年6月20日の日記『権記』で「愚暗の人、理運の災を知らず。発水湯早、免れ難し」とかばっている。現代語訳すると、次のようなものだ。

「愚かな人は、起こるべくして起こる災厄のことを知らない。発帝(中国・夏朝の第16代帝)の治世では洪水が起き、湯王(中国・殷王朝の創始者)の治世では干ばつが起き、いずれも免れようがなかった」

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