さらに行成は同日の日記で、一条天皇の名君ぶりをこう讃えている。
「一条天皇は情け深い君主であり、天暦(村上天皇の治世)以後では、学問と芸術を好んだ賢明な天皇である。政務の合聞には、深い考えをめぐらして、期するところは澄らかである」
(主上、寛仁の君にして、天暦以後、好文の賢皇なり。万機の余閑、只叡慮を廻らし、期する所澄清なり)
「賢帝」として慕われ続けた
出家した定子を寵愛して子どもを次々ともうけたことは、宮中をざわつかせはしたものの、一条天皇は賢帝として周囲から慕われ続けたのである。
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
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