「デキがイマイチで無料」ラヲタ店主の異様な熱意 レギュラーメニューがない異色ラーメン店の背景

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「自転車で行ける範囲で食べ歩きを始め、お店を回っていくうちにだんだんラーメンが好きになっていきました」(道理さん)

その後、高田馬場にある音楽の専門学校に通い、音楽の道を志す。ものづくりに憧れていた道理さんはギターの製作をする木工加工を専門にしていた。

高田馬場がラーメン激戦区だったこともあり、食べ歩きが過熱し、「ラーメン二郎」「さっぽろ純連」など高田馬場の名店に通う日々が続いた。その中でも一番ハマったのが「渡なべ」だ。

渡なべ
「渡なべ」。言わずとしれた、高田馬場の人気店だ(筆者撮影)

「濃厚な豚骨魚介ラーメンで、こういうラーメンが世の中にあるんだと驚きました。家系ラーメン以外で初めてハマったラーメンです。お店がオープンした頃から通うというのが初めての体験で、ワクワクしたのを覚えています」(道理さん)

4年の修業でラーメン店としての基礎を勉強

専門学校を卒業するが、楽器業界が下火で就職先がなく、泣く泣くフリーターになる。親との約束は、25歳までにその後の道を決めること。そのまま25歳になり、就職をしなければならないとなったところに、ラーメン店で働いている友人から社員募集の誘いがあった。しかし、その仕事も続かず、わずか1年で退職することになった。

社会人になって一発目で失敗をし、途方に暮れる道理さん。せっかくだからラーメンの仕事は続けてみようと思い、次は有名店で修業することに決めた。

こうして入ったのが有名店「なんつッ亭」。濃厚な豚骨スープにマー油を合わせたパンチのある一杯で、神奈川県を代表する人気店としても知られる。入社して川崎店に配属になったが、本店や品川にあるラーメンエリア「品達」のお店も経験できた。

4年の修業でラーメン店としての基礎を勉強できた。一方で、秘伝のタレの作り方などは従業員にも非公開だったこともあり、核の部分が経験できなかったという課題が残った。

「ここで湧いてきたのが、『ラーメン店は現場だけなのか』という疑問です。ラーメンをやっている企業でも、大手であれば人事や経理などさまざまな部門があります。現場以外のラーメンの仕事にも携わりたいと、『一風堂』を運営する株式会社力の源カンパニーに入ることに決めました」(道理さん)

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