戦後、日本が「分断国家」にならずに済んだ深い事情 「米軍による占領」と引き換えにソ連が得たもの

戦後の覇権を巡るテーブルの下での争い
アメリカのニューハンプシャー州北部にあるブレトン=ウッズは、ワシントン山に面し、スキー場やゴルフ場の広がる人気のリゾート地だ。連合軍がフランスに上陸した直後の1944年7月、ここで連合国に属する45カ国の代表によるブレトン=ウッズ会議が開かれた。戦後の国際的な経済と金融の枠組みはこの席上で決まった。
会議の趣旨として、1929年に起こった世界恐慌のあと、世界の主要国が閉鎖的なブロック経済政策を採り、それが連合国陣営と枢軸国陣営の対立を招いたことへの反省があった。
このため、国際的な金融協力や外国為替相場の安定を図る国際通貨基金(IMF)と、戦災復興を支援する国際復興開発銀行(IBRD、世界銀行ともいう)の設立を決定する。
さらに、アメリカのドルの価値の裏付けとして「金1オンス(28.3495グラム)=35ドル」と定めたうえで、ドルを基軸通貨とした固定為替相場制が採られることになる。
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