戦後、日本が「分断国家」にならずに済んだ深い事情 「米軍による占領」と引き換えにソ連が得たもの

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日本の降伏前には、ソ連、アメリカ、中華民国、イギリスの4国による日本の分割占領も検討されていた。

この構想では、北海道・東北地方はソ連、関東・中部地方と三重県、沖縄県を含む南西諸島はアメリカ、四国は中華民国、中国・九州地方はイギリスがそれぞれに単独で占領し、東京市(現在の東京都23区)は4国の共同管理、近畿地方と福井県はアメリカと中華民国の共同管理となる予定だった。

米ソ間で東欧と天秤にかけられた日本

ドイツは、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4国による分割占領を受け、首都ベルリンは4国の共同管理とされた。

のちに米、英、仏の占領地はドイツ連邦共和国(西ドイツ)、ソ連占領地はドイツ民主共和国(東ドイツ)となり、ベルリン市街のうち米、英、仏の占領地は、東ドイツ領内にある西ドイツの「飛び地」となる。

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日本も分割占領を受けていれば、ドイツと同じ分断国家となった可能性があったのだ。

しかし、トルーマンは、アメリカが占領軍の最高司令官を任命して主導権を握りつつ、他国と協調する方針を決定する。この背景には、アメリカとソ連の潜在的な対立があった。

スターリンはこれに反発したが、1945年12月にモスクワで行なわれた米、英、ソの3国外相会議で、日本はアメリカ軍と少数の英連邦軍(オーストラリア軍、ニュージーランド軍など)が占領する代わりに、東欧はソ連の勢力圏とすることが決定した。

かくして長い大戦は終結したが、それは新たな戦いである米ソ冷戦の始まりも意味していた。

ソ連(ロシア)にとって、大祖国戦争と呼ばれた第2次世界大戦での勝利は、ファシズム勢力からヨーロッパを解放したという美名によって、ソ連崩壊後もロシアの国際的な正当性とナショナリズムを訴える材料に利用されることになる。

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官

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さとう まさる / Masaru Sato

1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。

2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。2006年に『自壊する帝国』(新潮社)で第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『読書の技法』(東洋経済新報社)、『獄中記』(岩波現代文庫)、『人に強くなる極意』(青春新書インテリジェンス)、『いま生きる「資本論」』(新潮社)、『宗教改革の物語』(角川書店)など多数の著書がある。

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