本来、賃上げは生産性向上によって実現すべきものだが、日本では販売価格に転嫁されて消費者が負担する賃上げが始まろうとしている。これは、スパイラル的なスタグフレーションを招くおそれがある。日本はいま、重大な岐路に立っている。昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕するーー。野口悠紀雄氏による連載第122回。
生産性向上による賃上げでなければならない
春闘によって高い賃上げが実現した。これが将来も持続するかどうか、そしてこれが国民生活を本当に豊かにするかどうかに、関心が集まっている。
この問題のカギは、賃上げが生産性の向上によって行われるか否かである。生産性向上によって賃上げが実現するのであれば、国民の生活は豊かになる。しかし、賃上げを販売価格に転嫁しているのであれば、実質賃金が上昇せず、経済は物価と賃金の悪循環に陥る。
ここで、「生産性」という言葉について注意が必要だ。本来であれば、資本蓄積や技術進歩が行われた結果として付加価値が増大する場合に、「生産性が上昇する」と言うべきだ。しかし、統計上は、1人当たりの付加価値が上昇すれば、その原因によらず、「生産性が上昇した」とされる場合が多い。価格転嫁によって売り上げ額が増加する場合も、統計上は、付加価値が増大することになるので、生産性が上昇したことになってしまう。
本稿では、資本装備率の上昇や技術進歩によって実現する賃上げだけを、「生産性上昇によって実現する賃上げ」と呼ぶことにする。
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