相手の言動を読み切れるというのは、自分と相手が同一化したということ。自分と相手の「違い」が問題にならないということ。その状態で成立するのは「独白(モノローグ)」であって、「対話(ダイアローグ)」ではないというのだ。
もちろん、対話が成立しないからといって、悪いわけではない。相手の言動を読み切れば、交渉では絶対に優位に立てるのだ。ただ、自分と相手の「違い」から、新たな道が開ける可能性は消滅するのである。
これは日常的なコミュニケーションにおいても同じこと。お互いの共通点を確認して共感するような状態は、自分と相手が共通点を軸にして溶け合う(同一化する)ため、「独白」であって「対話」ではない。だからこそ、親交が深まるのだが。
要するに、自分の呼びかけに対して、相手が予想外の反応を示すのが、対話の真骨頂ということである。反応が読めないのは厄介だが、自分一人では決して到達しえない気づきをもたらす可能性があるのだ。
このように考えると、冒頭の事例は「予想外」の連続であり、対話の契機となる状況であったことがわかる。ただ、予想外の事象に対して、お互いに質問することで掘り下げていかなければ、対話は成立しない。そこが難しいところである。
日本教育大学院大学客員教授■1966年生まれ。早大法学部卒、外務省入省。在フィンランド大使館に8年間勤務し退官。英、仏、中国、フィンランド、スウェーデン、エストニア語に堪能。日本やフィンランドなど各国の教科書制作に携わる。近著は『不都合な相手と話す技術』(小社刊)。(写真:吉野純治)
(週刊東洋経済2011年8月13・20日合併特大号)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら