8年で11軒閉店「ラーメン屋の墓場」で繁盛した必然 「日本一アンチが多い」店主は何を考えてきたか

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さらに油そばを選んだ理由は、もともと自分が油そばが嫌いで、嫌いだからこそ好きになれる一杯を作れたら自信が持てると思ったからです。嫌いを好きにさせる方が味の追求のし甲斐があるなと感じたんです。」(りゅう社長)

油
(写真:「鈴の木」提供)

こうして2017年4月に「油そば SUZUNOKI」を地元・さいたま市にオープン。

お店の内装をDIYで仕上げながら、レシピをYouTubeの動画とGoogleで調べて味づくりをした。近くの大宮市場に材料の買い付けに行き、鶏ガラの掃除、仕込みから学んでいった。後輩と2人で不眠不休で試作を重ね、背脂醤油、塩、バジル、辛味噌の4種の油そばを完成させた。

「最初は油とタレだけで作っていましたが、これにスープが入ると美味しくなることに気づき、スープを炊き始めました。スープの炊き時間も試行錯誤して7時間に固め、背脂とスープの入った油そばを完成させました。4種完成させるまでに1000杯近くは作ったと思います」(りゅう社長)

オープンから2日間は1杯500円セールを開催し、オープン日には地元客を中心に150人のお客さんが集まった。オープン前にシャッターに「味ができたらオープン」としばらく掲げておいたのが大きく、そこからオープン直前に「4月27日オープン」と書き換え、この日めがけてお客さんが集まった。

やがて赤字に転落、豚丼店も失敗に終わる

オープン景気は1カ月続いたが、その後はリピート客中心の地元密着店になり、赤字に転落した。

「売上はだんだん安定してきたものの、思い描いたものとは大きく違うと思いました。『ラーメンに場所は関係ない』とよく聞いていましたが、そうではなく、立地が関係なく繁盛店になれるのはほんの一握りなんだと感じました。『キラ☆コレ』と同じくまた集客に悩むのかと落ち込んでいました」(りゅう社長)

油そば 鈴の木
(写真:「鈴の木」提供)

8月には隣の物件で豚丼のお店もオープン。ここでも数々の企画を展開したが、SNSを上手く使いきれず、ネットがバズることはなかった。こちらはなんと10カ月で閉店に追い込まれた。

新規客が来ない悩みを抱えながらも、りゅう社長は「SUZUNOKI」を続けていく。30歳になったら勝負をかけるという何となくのビジョンを掲げながらひたすら耐え続けた。

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