大谷翔平と水原一平、くり返す「側近の裏切り」 「あの人がだますなんて」気づけないカラクリ

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内側から見ると、確固たる考えはどれも、それがどれほど支持されているか、またはその考えにどのようにしてたどり着いたかにかかわらず、ほぼ同じように感じられる。つまり「入手できる証拠をすべて調べた結果、私はこの考えにかなり自信があります」という感覚と、「証拠とはほとんど関係のない極めて文化的、社会的、個人的な理由で、私はこの考えを支持します」という感覚を本質的に区別することは難しい。

思い入れがあまりに強くなると、疑問を抱く必要を感じなくなり、その問題についてこれ以上学ぼうとせず、自分の見解と相反する新たな証拠を示されても、軽視するか、見て見ぬふりをするようになる場合がある。これは「故意の盲目」と呼ばれる。

多くの法的場面では、入手できる証拠に気づかなかったことは、詐欺を「見逃した」り、知らぬ間に犯罪に関与したりしていることの抗弁にはならない。

ある想定に対する強い思い入れは、世界についての他の想定に波及効果を及ぼすことすらある。思い入れが強くなりすぎると、より根拠のある想定を論理的にあきらめざるをえなくなる恐れもある。

私もあの人も……誰もが「冷静」ではない

たとえば、私たちはみな同じ現実の同じ時間軸を生きている。

しかし統合失調症を患っている人は、世間に対して奇想天外な、または誇大妄想的な考えを持つことが多い。もし彼らが「私の日々の行動は、不可解な謎を解くカギになっている」とか、「私は脳に埋め込まれた装置によってCIAに行動を追跡されている」といった考えを信じていれば、周囲の人々は、彼らの推理力は正常に機能していないと思うだろう。

けれども、統合失調症の人はそうではない同程度の知能の人と比べて、論理的な問題を解くことが苦手だというわけではない。

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