愛知県民すら知らない「豊橋うなぎ」のこだわり 県収穫量8割以上占める「一色産うなぎ」との差

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「まずは白焼きで食べてみてください」と、牧内さん。

おおっ、皮がパリパリで身はフワフワ! かむごとに皮と身の間にある脂があふれ出して、口の中でスッと消えていく。まるでマグロのトロのような脂の口溶けがたまらない。白焼きがうまいというのは、本物の証しである。

タレを何度も重ね塗りした蒲焼も食べさせてもらったが、気にしていた臭みはまったくないどころか、そこらのうなぎ屋で食べるよりもうまい。夢中で食べていると、直売所に夏目さんがやってきた。

「豊橋うなぎは地下水を使っているので臭みが少ないのだと思います。うなぎはきれいな水では餌を食べないので、自然に近い環境を作らなければなりません。豊橋の養鰻はうなぎの飼育に適した水を作る技術に長けていると思っています」(夏目さん)

池上げされたばかりのうなぎ

一色産うなぎは近くを流れる矢作川の水を使っている。自然環境のまま飼育できることがメリットとなるが、泥臭さが出てしまうのは否めない。夏目さんによると、養鰻池1坪あたりのうなぎの数も重要で、豊橋うなぎは100〜150尾。養鰻が盛んな九州ではその倍にあたる200〜300尾になるという。

「うなぎが多すぎると、ストレスにもなりますし、すべてのうなぎに餌が行き渡らないこともあります。養鶏で例えると、ブロイラーと平飼いの違いくらい味に差が出ます」(夏目さん)とか。

20歳で社長に就任し、会社の立て直しに奔走

夏目商店は1967年にうなぎの卸問屋として夏目さんの祖父が創業した。現在、夏目商店は自社の養鰻池が14面と、提携養鰻場が26面の計40面でシラスと呼ばれる稚魚からうなぎを育てている。祖父の代においても今ほどの規模ではないものの、養鰻も手がけていた。

祖父が扱ううなぎの品質は良く、全国でもトップクラスとの評判を呼び、業績は右肩上がりだった。祖父の亡き後は父親が後を継いだが、夏目さんが中学1年生のときに亡くなってしまった。その後、母親が社長となったものの、毎年赤字が膨らみ続けていた。

「高校を卒業したら、私が会社を立て直そうと思いましたが、右も左もわからなかったので、知り合いの卸問屋で修業をさせてもらいました。それで20歳の誕生日に会社を引き継ぎました。でも、まだ社長としての自覚がなくて、3、4年経った頃からこのままでは潰れてしまうという危機感をもって仕事に取り組みました」(夏目さん)

今春、稼働する新工場内にて、夏目さんの姉で加工主任を務める牧内美奈子さんと(筆者撮影)

夏目さんが考えたのは、メインの卸業以外に新たな収入源を増やすことだった。それが加工・販売だった。実は、夏目商店は創業者の祖父が業者から買い取ったうなぎを焼いて販売したことが原点となって卸問屋として開業したという歴史がある。

夏目さんが会社を引き継いだ頃、うなぎの価格がじんわりと上昇しはじめていた時期でもあり、この先、卸業だけでは厳しいと思っていた。何よりもお客さんに美味しいうなぎを提供したいと考えると、養鰻をテコ入れして加工、販売まですべて自社で行うのがベストだろうと判断した。

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