松尾:私は、リーダーが意思決定するために必要なものが教養だと思っていますので、そういう意味では、教養とは実践知に近いもので、そこから離れてしまうとただの物知りということになってしまいます。やはり、いまの時代に大事な意思決定をしていくためには、ものごとの見方を広げ、歴史や他人の経験から学ぶ必要性がある。そこからもう少し広げて、そういった意思決定も含めて、自分の生き方をより善くするためにも教養が必要ということになると思います。
堀内:さきほどお尋ねした、個人とそれを取り巻く社会との関係についてはどう捉えていますでしょうか。たとえば、自分と日本という国を完全に同一視してしまって、日本がサッカーの試合に勝てばそれだけで幸せ、相手の国のことなんかどうでもよいみたいな人たちもいます。また、自分の幸せはどこにあるのかよくわからなくて、会社と自分のアイデンティティを一体化してしまうような人もいます。このような極端な例は別にしても、そうはいってもやはり社会が良くならなければ、自分だって幸せにはなれないという考えもあると思います。
松尾:先日、堀内さんがお住まいの軽井沢にうかがった際に、このような高尚な議論をしている堀内さんが、最近建てた高級別荘をいくらで売ろうと思っているとか、シンガポールの富裕層にだったら何億円くらいで売れるとかいう話を真剣にされていて、大変面白いなと感じました。地に足がついているというか。
私の研究についても、研究の成果を社会に還元する世俗的な部分と、それをもっと俯瞰して社会全体をより良くしていくという両面がないといけないと思っています。抽象論や高尚な議論ばかりしていても視野が狭い人間になってしまうので、自分と社会についても「多層的」な関わりを持つことが大切です。教養は広く社会の全体を捉えるうえで重要であり、それが日常的な活動の方向を示すものになっていくのでしょう。
堀内:メタ認知ということも含めて、多面的・多層的にものを見る力、ということですね。
松尾:同時に実践のほうも多面的・多層的なほうが良いと考えています。おそらく同じ職場でずっと勤めている人は多面的・多層的ではないので、教養だけ身につけても活かす場が少ないのかもしれません。
リーダーになる人にこそ教養が必要
堀内:日本の組織にいて変に勉強すると、妙に理屈っぽい奴だと思われてしまうリスクがあります(笑)。さきほど、別荘プロジェクトの話をされていましたが、私も自分が面白いと思うことをやっているだけで、何か明確な理屈があって行動しているわけではないんです。さきほど、アリストテレスのところで言いましたが、自分の知的好奇心に導かれて生きているようなところがあって、それがどうして面白いのかを人に説明してみてもあまり意味はなくて、それ自体を楽しんでいるんです。まさに人間には自分でさえわからないような多面的・多層的なところがあって、それでも自分の中では何か全体がつながっている気がしています。
最後に、あらためて、松尾さんにとって教養とは何かを、お聞かせいただけますか。
松尾:先に少し触れましたが、「教養」とは、ものごとの見方を高めてくれ、正しい結論を導くための意思決定に必要なものだと思っています。
意思決定というのは、数が多い事象については経験して学ぶ、つまり「トライ&エラー」でもよいのですが、政治や経営における意思決定のように、失敗が許されない、自身の経験から学ぶことができないケースの場合、歴史や自分以外の経験から学ぶ必要が出てきます。そのために、とりわけリーダーになる人にとっては、教養を学ぶ、教養を高めることが必要になるのではないでしょうか。
堀内:本日は数多くの貴重なお話をありがとうございました。
(構成・文:中島はるな)
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