堀内:いまのお話は目からうろこですね。文系科目と言われる学問、特に社会科学系は、まず現実に世の中の動きがあって、それに実際にどう対応するかということを考えていくものです。実社会の経験がない人が、こういった学問を勉強すると、頭の中だけでとんでもなくナンセンスなことを考えたり、理屈を重視しすぎて、とんでもない方向に行ってしまったりするリスクを感じています。
そういう意味で、理論だけで勉強できるものはできるだけ早いうちに学び、そうでないものはある程度年齢と経験を経てから学ぶ、さらにはもう一度大学に入り直して学び直すといったことをくり返していく必要があるのだと思います。
松尾:堀内さんのおっしゃるとおりで、大学もそのようにあるべきだと思います。現在の東大も可能性を秘めていると感じますが、まだ十分な役割を果たせてはいないと感じます。あまり言うと怒られてしまいそうですが、いまの大学の教員の多くはずっと大学の中で学んで、そのまま働いてきて、外の世界を知らない人たちということも大きいと思います。ただ、自己否定になってしまう面もありますので、実際にこれを変えていくことは難しいと思います。
私の研究室の場合は、学生が学びたいということで実際に学生らが起業することも多いですし、共同研究で企業の方との取り組みが非常に多いです。少しずつでもそういった形が大学内で広がってくるとよいと思います。
「知のエグゼクティブ・サロン」への想い
堀内:私が上智大学のプロフェッショナル・スタディーズで「知のエグゼクティブ・サロン」を立ち上げたのは、まさにそうした問題意識がありました。10年以上前に東大のEMP(エグゼクティブ・マネジメント・プログラム)を受講した際に東大の先生方と議論をしたところ、彼らの「知の力」に圧倒されました。生まれつき頭の良い人が同じことを20年、30年と研究していると、こんなにも知識が広く深くなるものかと感動したものです。ただその反面、彼らはこんなにも世の中のことを知らないのかということにも驚かされました。もう少し実社会のことを知って、学問と社会との関係を考え直す機会を持つべきなのではないか、そして、それは学問にとっても必ずプラスになるに違いないはずだと。
それで、学者もビジネスパーソンもともに学び合える場が必要であると思い「知のエグゼクティブ・サロン」を始めたのです。アリストテレスが、「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」と言っているように、本当に好奇心のある人であれば、学者だって実社会のことを知りたいと思うでしょうし、実社会で働いている人も人間の知の集積についてもっと知りたいと思うだろうということで、立場を超えてフラットに議論し合える場をつくりたかったのです。
松尾さんは、その原点には哲学への関心があって、「人間とは何か」や「この世界とは何か」といったことをずっと考えていたということですが、私は教養とは、ソクラテスが言ったように、自分が「どう善く生きるか」ということにすごく関係していると思っています。
さらに、自分という概念をもう少し拡張して考えていくと、自分を取り巻く環境、それを社会または世界と呼んでもよいですが、自分を含むもっと大きな範囲がどのようにより良い姿になっていくのか……そういったことを考える一つの手段が教養だと思っています。松尾さんは教養と社会の関係をどのように考えていますか。