堀内:最近、JTCと言われるいわゆるジャパニーズ・トラディショナル・カンパニーでは、若いうちに何らかの選抜が行われ、部長や執行役員レベルになるとだんだん教養が求められていきますよね。私が見てきた狭い世界の話かもしれませんが、その前に実務家としての能力や実績での選抜があるので、山口さんのように教養を身に付けてきた人はその手前でほとんどが淘汰されてしまうような気がします。
淘汰されずに残った人は、若い頃は仕事に必死で教養などを学ぶ時間がなかったような人たちばかりで、急に「これからは会社のマネジメントをするのだからリベラルアーツとか教養を学ばなきゃいけないよ」と言われて、もともと勉強してこなかった人たちだけで突如エグゼクティブプログラムに行かされるような仕組みになっていますよね。でも、急に変わりなさいと言われても今から変わるのは難しいと思うのですが。
山口:社会学者である竹内洋氏(関西大学東京センター長)が『教養主義の没落』の中で書いていることですが、1970年代までは教養主義は大学キャンパスの規範的な文化であって、読書による教養主義というのは、人格の形成や社会の発展のために、学生の間で疑いようのない信念として共有されていたと。京都大学の学生が教養書を何冊読んでいるかという当時の調査では、10日に1冊読む学生が半分以上、ほとんど読まないと答えた学生は1%しかいなかったということです。
80年代以降、大学がレジャーランド化
「大学のレジャーランド化」という言葉について、自身でも調べたのですが、『現代用語の基礎知識』のレジャーランドの項目に、「遊び、学生が遊んで過ごす現在の大学」という説明が入ったのが1985年からです。そのあたりから大学や大学生の意識に変化が起こったと考えられます。
これは、日本の経済というのはほっといても良くなるとか、名のある会社に入って、それなりにやっていれば別荘の一軒ぐらいは持てるようになるみたいな、きわめて楽観的な将来見通しを持つようになったという時代の影響を受けていると思われます。
1980年代半ば以降、まったく教養書を読まず、教養的なことを知らないのを恥ずかしいと思う感覚がエリートからなくなっていくわけです。それで、40代後半~50代になって、君たちもそろそろそれなりの立場なのだから教養を身に付けろと言われて、いきなりアリストテレスなどを読まされてすごく苦労することになっています。