西陣織とは、多品種少量生産の京都・西陣で生産される先染めの「絹織物」の総称で、現在は数十万円から数百万円の女性着物の「高級帯」が主力だ。
京都の織屋は平安時代より1500年の歴史があり、これは世界の絹織物の代表産地であるイタリアのミラノの800年、フランスのリヨンの600年と比べても圧倒的な伝統を誇る。
そして、京都という土地では、天皇や公家に「この世で最高の品」を捧げるため、職人たちによる「美」や「品質」へのあくなき探求が積み重ねられてきた。
「1ミリの1000分の1」の絹の繊維をまとめて糸とし、美しい模様を作るためその糸を何百種類に染め上げ、経糸と横糸の組み合わせを変更しながら、織り機を数万回動かすことで、世界最高峰の絹織物が完成する。
ご存じの方も多いかと思うが、この経糸と横糸の組み合わせの数万回の変更を「紙に穴をあけて管理・運用」したのがコンピューターの起源だ。
自動織機が普及した現代においても、工程や模様が極めて複雑な西陣織帯の製作では、職人が織機につきっきりで作業が進む。
完全な手織り機で作業を進める工程も多い。
江戸以前は「権力者の娘の嫁入りに使われる最高級の着物を作るためには、幾年もの時間が必要だった」と源兵衛氏は語る。日本以外の文化圏で、このような工芸を育み、そして伝承することは難しいだろうと感じる。
「徹底された分業」という強みが「技術の継承」を阻む
源兵衛氏によれば、成人式や冠婚葬祭など「日本ほど伝統衣装を着ている国は珍しい」ようだ。
ただし、着物や西陣織の産業としての実態は極めて厳しい。過去30年、日本の着物市場全体は5分の1へ、高級な「帯」が主力である西陣織の市場は10分の1にまで落ち込んでいる。
これほどまでの技術と伝統を持ち、世界的に高い評価を得ているにもかかわらず、京都・西陣織は産業として、その存続までもが危機的な状況にあるのが現状だ。
歴史や伝統をつないでいくのは、いつの時代も「人」で、現在の織元の一番の悩みは、厳しい経営環境の中での「職人の後継者育成」だという。
皮肉なことに、西陣織の美を支えてきた「高度に徹底された分業制」が西陣織の継承を苦しめているというのだ。
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