ぺシミ氏はこう付け加える。
「また、ブルーライト文芸のタイトルを見ると、タイトルが抽象的です。『君』とか『僕』などの曖昧な人称代名詞を使っていて、匿名性が高いことに気づきます。マンガの領域で『からかい上手の高木さん』をきっかけに「◯◯さん」系の作品が増えたのとは対照的ですね。
タイトルの余白の広さがキャラクターの匿名性にもつながっていて、僕自身、ブルーライト文芸のキャラクターではっきりと名前を覚えているキャラクターってほとんどいないんですよね」
たしかに、ブルーライト文芸に登場するキャラクターはそれぞれ、キャラクターとしての個性が比較的薄く、他の作品のキャラクターと入れ替えることができるのではないかと思わされるぐらいだ。
ブルーライト文芸の特徴の一つが、「ヒロインが<消失する>」ことにあったが、こうしたストーリー展開に比べると、キャラクター造形自体はこだわりが薄いのである。
SNS時代に特化したキャラクター
こうした個性の薄いキャラクターについては、文学が好きな人からすれば「キャラクターを描くことができていない」という批判の対象になりそうだ。
しかし、ぺシミ氏はこうしたキャラクターが生まれた背景には、現代の読者の好みの変化があるのではないかと指摘する。
「ケータイ小説に出てくる女子高生と、ブルーライト文芸に登場する女子高生のキャラクターは個人的にかなり違います。ケータイ小説の主人公のほうが、孤独で人生に対して必死で向き合っている感じがします。
一方、ブルーライト文芸で描かれる女子高生は、SNSや常時接続を前提としてあらゆるコミュニケーションを行っている。ペルソナも多様だし、コミュニケーションの相手も対象も違う。対人関係において、ある意味での“ライトさ”があるように感じます」
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